東京友禅は、ぼかし屋友禅へ

 
日本美術史上、もっとも有名な着物姿

鏑木清方の名作「築地明石町」1927作 が
千代田区竹橋の国立近代美術館12/15まで公開されています。

美術館のHPより

左から浜町河岸、築地明石町、新富町

それぞれ清方が記録しておきたいと思った明治の町の様子を背景にしているそうです。
いずれも地下鉄の駅名や都バスのバス停の名前に残っていますが、街の風情は、もうまったく…。
当時の築地は外国人居留地で、江戸以来の下町風情と西洋が混在していたそうです。「明
石町」の背景にも大変薄いのですが、帆船の遠景が描かれています。
左右の2作と違い「明石町」の良家の奥様風の中年女性には実在モデルがいるそうです。さすがに実在の感覚が伝わる力強さがありました。三部作といいますが、群を抜いています。


展示会場には彼女の着ていた江戸小紋を再現した着物がありまして、とてもおしゃれな青磁色の小紋でした。


髪や眉の一本までとにかく細かい描写。

下駄と足の綺麗さも印象的です。


今は小紋を着たら、足袋と草履になりますが、明治の女性は素足に下駄。
粋を求めただけでなく、足袋はお武家さんなど限られた人の物だった江戸時代の名残もあったかもしれません。

鎌倉の鏑木清方記念美術館でこの絵の下絵が公開されているそうです
期間はやはり12/15(日)まで。あと数日ですが間に合う方はぜひ。
http://www.kamakura-arts.or.jp/kaburaki/news/tsukijiakashicho_shitae.html


画像はテレビ東京「新美の巨人たち」より

女性のシワをかなり正確にスケッチしたあと、それを取捨選択し、一番重要で美しい線を残して描いたように思われます。


足元の柵に名残りの朝顔が。葉は茶ばみ、しおれた花が落ちていますが、色合いはとても綺麗です。


中年になっても美しいと、清方がモデルの女性に伝えているようでした。

会場で見た中で印象的だったのは風俗画としての清方の画業


「鰯」
解説によれば、清方の育った時代、築地には水揚げされた鰯を売り歩く少年が大勢いたそうです。長屋の一角で炊事しているおかみさんが少年から鰯を買い上げているところ。絵の全体では家は間口が小さく、すぐ右はもう隣家のお勝手であること、屋根の上nの煙を逃す窓、手前路地に花が咲いていることが描き込まれています。


すだれ越しに水切り棚に伏せた丼やザルらしきもの、甕などが透けて見えています。この長屋の暮らしを清方が愛情を持って見てきた気がします。

清方にとって懐かしい街の一角だったのでしょう。

着物あれこれ | 06:20 PM | comments (x) | trackback (x)

これ、なぁ~んだ?


答え→ 洗った伸子針(しんしばり)を陽に干しているところ。

手描き友禅の着物の染め工程が一通り済み、一着が出来上がると、次作の準備をします。生地の準備、染料の補充などなど。
忘れてはいけないのが、道具の手入れ。
伸子針(しんしばり)は染めの作業をしやすく生地をピンと張らせる道具です。

竹の先に細い針がついています。

どう使うかというと…
着物の地の色を染める「引き染め」


模様に筆で染料を挿す「色挿し」


生地の浦から大きな模様伸子をバッテン掛けしておき、さらに15㎝間隔くらいに細い伸子針をはって生地を四方から引っ張りまっすぐに張っておいて作業するのです。


こんな風にバッテンの所を手で持って画面を安定させるのです。

張った生地の表側。
伸子の針先がチクッと表に出ているでしょう。
この状態に耐えるのですから絹は丈夫です。
(手描友禅屋さんは、この針のせいで引っ搔き傷には慣れっこです)

さて、これらの作業で伸子針の先の方、
生地に接している両端が染料で汚れ

そのまま次の作品の染めに使うと、生地の端に点々と違う色が移ってしまうので、ハイドロという粉末の抜染剤で煮て、染料を落としてきれいにしておくのです。


給食でも作るかという大きなホーロー鍋で上下入れ替えながら煮込みます。
この鍋は染色用で材料屋さんで売っているものです。


色が抜けたら、よく水洗いしてハイドロの成分が竹に残らないようにします。残っていると、次の引き染めの時、生地にハイドロで色抜けした点々が出てしまします(^^;)

よく洗ったら水切りして陽に干すわけです。


冒頭の写真はこれを真上から写したもの。
何だか前衛アートのような写真になったのでした。

ぼかし屋では少なくとも三日は干して完全に乾燥させます。
そうでないと、保管中に竹がカビたりいたします。


ほらキレイになったでしょう。これで色移りの心配がなくなります。
熱湯で煮た間に曲がっていた竹が真っすぐにもどっています。これで次回もきれいに生地をピンと張ってくれることでしょう。



色抜きしてはまた使える伸子針ですが、作業中に折れてしまうこともあり、
長い目でみると消耗品です。作ってくれる職人さんが少なくなってしまい、材料となる竹の少ないそうで、価格も値上がり、貴重品となっています。大切にお手入れするから、


伸子針さん 何度も何度もがんばって!!
東京手描友禅の道具・作業 | 12:18 AM | comments (x) | trackback (x)
東京手描友禅は多くの場合、主な工程を一人の職人が行う一貫制作です。
ぼかし屋でも模様付けだけでなく着物全体の色(地色)染めも行い、全体としてデザインを起こし色調を考えます。
そのため色染めをする前に どんな色するか、その色がどのように発色するかを生地で試します。模様の色は小さな小ギレで十分試せますが、地色となると大きな面で試し、さらに本番のように刷毛で引き染めをして試す必要がある場合もあります。
複雑なぼかし染めの場合や 発色の具合が読み難い場合など。

着物を染める本番ほどではないものの小振りな刷毛を使い、染料も小さなバケツにいれて、方法としては本番と同じように染めます。


霧吹き新聞(余分な水分を吸い取らせるため)など、必要な物は本番と同じです。


染料バケツの中の刷毛は横幅が3寸。本番で普通使用するのは5寸刷毛


  大きい方が5寸刷毛。
3寸刷毛は試し染め以外にも 細かいぼかしをする時には本番でも使います。
今回布の上で染料をぼかすのは5寸刷毛の方。足が長~いぼかしを予定しているからです。

ある色が徐々に薄くなり最後に無色となるまでの色の変化を「ぼかし」といいます。
薄くなり始めの地点から無色となる地点までの距離「ぼかしの足」と呼びます。
足が長いほど、なだらかなぼかしで、短いとクッキリ色が終わる感じのぼかしになります。
長い足できれいに色がぼかせるかを試しておく訳です。

生地に引いてある線はぼかしの設計図のようなもの。


ここまで霧を吹く、ここまで刷毛をもってくる(染料を伸ばす)、ここで刷毛を止める、など。着物になった時に希望の位置に希望の色がくるように、あらかじめ決めた設計に沿って色を付けるのです。
線は水で消える素材なので霧を吹いたらサッサと作業!設計図が消えないうちに(^^;)

染めて乾いたら、染まり具合、ぼかしの効果を確かめて本番へ進みます。


どうかな、こんな具合でいいかな、と染め上がりをチェックします。


地色と模様がよい感じで引き立て合うように想像を巡らせながら色とデザインを考えていくのです。


東京手描友禅の道具・作業 | 04:06 PM | comments (x) | trackback (x)

まもなくハロウィン
特にお祭りすることはありませんが、この時期はそれらしい色合いの物を並べたくなります。
大きなは日本調。下の鍋敷きはベトナム製。陶器部分の絵は中国風ですが、ツルの編み込みの縁取りはいかにも東南アジア風です。


後ろの水彩画は拙作。
模様ではなく、「見たままをスケッチする」練習のために月に一回通い出して2年近くなります。見た物を友禅の模様にするべく、都合よく変換して描くことばかりしてきたので、先生が用意して下さる静物を「たとえキレイと思わなくても」、花を「枯れていても」そのまま描く練習はとても新鮮で難しいです。
この画題はカボチャと栗。イガイガに悪戦苦闘(>_<)

友禅の模様幅が広がっている気がします!(^^)!



この時期らしい帯と帯〆を引っ張り出してみました。
櫛織 くしおり」の帯で一目ぼれして購入、
帯〆はお古で頂戴したもの。よく合う色目です。


櫛織のズームアップ。
糸の組み合わせが実に美しく、友禅とはまったく違う味わいです。まだ着る機会がないのですが…


季節の便り | 04:52 PM | comments (x) | trackback (x)
先月放送されたNHK BSの「関口知宏のヨーロッパ鉄道旅」でチビタベッキアという港町の教会のマリア様が紹介されていました。
チビタベッキアは古くからローマの海の玄関口だそうです。


どこにでもありそうな街の教会ですが、


祭壇の奥は日本の殉教者の群像。正面に日本聖殉教者の文字も見えます。


祭壇上部の天井画は、着物姿のマリア様です。


(写真横転、ご容赦を)

安土桃山期の富裕な女性の装いで、マリア様の白いベールは 袖があるところなど当時の女性が外出時に頭から被った被衣(かつぎ)を思わせます。濃い緑地に丸紋様散らしの小袖に金蘭の帯を締めています。
一方イエス様の小袖は真っ白で緋の袴。共にとても豪華かつ上品なお姿です。
       

作者長谷川 路可(はせがわ ろか、1897年~1967年)は、大正・昭和にかけて国内外で活躍した画家で、日本画だけでなくフレスコ画も描き、自身もカソリック信者だったそうです。
第二次大戦で破壊されたチビタベッキアの教会を再建するにあたり、ローマにいた長谷川路可が壁画の依頼を受け、このマリア像と日本の殉教者の群像が生まれたという解説でした。


教会の神父様は、関口さんのインタビューに対して、「長谷川路可は壁画を未完のままローマで亡くなってしまったので、いつかぜひ完成させたい」とおっしゃっていました。

それにしても、壁画はもちろん天井の梁にも日本調の模様が描かれた教会が、もう長く街の教会として地元に受け入れられてきた、という点に驚きます。
日本の町で、例えば、、美しい西洋人形のような仏様がローマ兵のような神将を従えているお寺が…地元のお寺として受け入れられるかというと…おそらく無理…
そこは大陸の大らかさなのか、または民族に関わらず殉教者にたいする敬意なのか、わかりませんが。

画像はテレビ画面からお借りしました<(_ _)>

着物あれこれ | 11:04 PM | comments (x) | trackback (x)
東京都工芸染色協同組合 七支部員で染め帯の展示を行っております。



ぼかし屋の出品は、前回ブログで染め風景をご紹介した橘の染め帯一点です。



糸目糊がとれてスッキリと白い線が浮き出てます。だから糸目友禅とも呼ばれます。


お太鼓に締めるとこんな感じ。


表参道にご用の節はお立ち寄りくださいませ。
明日28日は会場におります。

お知らせ | 11:19 AM | comments (x) | trackback (x)


帯を締めると前柄とおたいこ柄にバッチリ橘の実がたわわに実っている図で染め帯を作りました。

地染 帯なので少し厚手の生地。

青味の強い緑色です。柑橘類の葉っぱの色からとりました。


色挿し ミカンではなく橘の実、念のため(^^;)
色を試し染めしながら挿していきます。


橘は春夏秋冬、葉が緑であることを称えた歌が万葉集にあります。
実がたわわになっても葉が濃い緑であるのは、例えば、葉も色づく柿の色合いとは違うということです。
おめでたい木とされていて、お雛様の左右に桜と橘がありますね。

ぼかしを多用して黄色からオレンジ色、少し緑色の残る橘の実を描きました。


前々回にご紹介した「片歯刷毛」が大活躍です。


熱源にさらして乾かせながら作業するのは、滲みだしを防ぐため、キレイにぼかすため。

色挿し終了。蒸して、糸目糊を落とし、水洗い、湯のしをお願いして完成へ。


橘は実さへ花さへ その葉さへ
枝に霜ふれど いや常葉の樹    聖武天皇


ぼかし屋の作品紹介 | 11:40 PM | comments (x) | trackback (x)
上野の国立博物館で、今は珍しくなった着物を見ました。
絽の着物紋付の産着です。


 縹地 海辺風景 単衣 19世紀江戸時代

絽は透けるように織った夏用の絹地
見るからに涼し気な紺色の夏の着物です。
刺繍も使われていますが、一番重要な模様である浜松は糸目糊で表現した友禅染です。


夏に透ける絽の着物でおしゃれしている方を、かつてはひと夏に数回は見かけたものですが、最近、とくに今年はゼロでした。
着物離れもとにかく……とにかく夏が暑過ぎるからだと思います。
生地が透けているからこそ下着をきちんと着る必要がありますし、帯はどう着付けても暑い……。
同じ東アジア圏でも、帯のない形で着衣が発達した韓国のチマチョゴリが羨ましいですね。などと言うと帯の機屋さんに叱られてしまいますが(^^;)
地球温暖化で35度連発の今の夏では熱中症対策が第一になってしまいました。

こちらは更に見かけることはなくなった産着、それも紋付です。
サイズが大きく見えますが、おそらく誕生直後は肩上げを多くして赤ちゃんをくるむように使ったと思います。今も最小限の肩上げが残っていますね。


 薄茶平絹地 貝模様 産着 17世紀

1600年代作とのことですが、友禅の技術が確かなので後期の作でしょう。
背中央に一つ、両袖と両胸にも紋がある五つ紋付きで最高格式の作りです。紋は縁を飾られた向い雀。綿入れ自体が贅沢品(綿が貴重)だったことを思えば、大変力の入った幼児用の着物です。



友禅特有の糊防染が効果的です。
模様にあまり色がなく、地色も薄茶なのは始めからそうデザインされたのでしょうか。
それとも江戸時代初期の作で非常に古いので退色?いえ専門家が見てタイトルに薄茶地といれているので始めから薄茶に染められたのですね。


紋が可愛く見えるような飾りつきなので女児用を思わせます。綿入れなので冬着なはずですが、海辺の貝の模様?ちょっと不思議な産着。由来を知りたいものです。
同じ江戸時代でも初期はまだ幕末期のようなカラフルな友禅染(後染め)は出来ませんでした。江戸中期以降に鮮やかな色合いの染料が日本にも入ってきて友禅染の発達を促したそうです。

今は子供の着物を手描き友禅で誂える話はトンと聞かなくなりました(>_<)
残念ではあるものの、実は……
汚すのが仕事の幼児に目くじら立てずに済むように、小さい間は化繊の着物でよいという意見に私も賛成です。
このような絹、友禅、綿入れの着物はお大名クラスか豪商、大地主などごく一部の人々のもので、一般の武士、商人はもっとささやか、庶民の子共は使い古しの木綿布子にくるまっていただけ。模様がないか古い絣か。
デパートの売り場で可愛い化繊のプリント柄の3才お祝い着を見ると、カラフルな着物を幼児に着せられる時代を有難く思います。

着物あれこれ | 10:39 AM | comments (x) | trackback (x)


手描き友禅ではよく模様の中をぼかして濃淡をつけます。
模様が立体的になるのと、手描きならではの優しい雰囲気が出るためです。

ぼかしで活躍するのが片歯刷毛(かたはばけ)です。


右から4本が片歯刷毛、残る2本は丸刷毛。
比べると片歯刷毛は薄く先端の片側だけが少し尖らせてあるのでこの名前があります。どちらもぼかしで使われますが、片歯刷毛の方が細かい作業に向きます。
片歯刷毛に番号がついていて、大きな番号ほど大きな面を一気にぼかすことができます。


複雑に組み合わさった薔薇の花びらを立体的に見せるためにぼかしているところ。


色はあらかじめ濃淡で複数揃えます。


色調によりますが、このように大きな花は花弁一枚ずつぼかしていきます。


ここでは5番、6番のサイズを使いました。
水を含ませた片歯刷毛の尖った方にだけ染料を含ませて塗ると水の助けで染料が濃淡にぼかせます。


全体の色を挿し終ると大輪の花出来上がりです。
最後に糸目糊が抜けるとスッキリします。
さらに大きいと丸刷毛も併用することもあります。

手描き友禅の模様色挿しで使用する刷毛は片歯刷毛、丸刷毛、牡丹刷毛など。
ぼかしの雰囲気によっては染め筆のままぼかすこともあります。
とても細かい所や、尖った先端などには面相筆の穂先も使います。
先人が工夫して生み出してきた刷毛や筆、頼りになる道具です。
作ってくださる職人さんに感謝<m(__)m>


東京手描友禅の道具・作業 | 08:34 PM | comments (x) | trackback (x)
2019年6月15日の朝日新聞の記事の紹介です。



 手漉き和紙の製造に欠かせないトロロアオイを生産してくれる農家が、このままではいなくなってしまうという記事です。
和紙の原料のコウゾ。そのバラバラの繊維をまとめるのにトロロアオイから取る「ねり」が必須なのに、重労働のわりには高くは売れないことや農家の高齢化もあって、わずかに残ってくれていた生産農家が作付けを中止すると表明したのだそうです。
 悲しいニュースです。農家のご事情も重々…

和紙は手描き友禅にも欠かせません。代表例では、
真糊(米粉と糠から作った糊)を絹地に引く時に使う道具、渋筒(しぶづつ)


 上から伏せ糊用サイズの使い古し(繊維が強くまだまだ使えます)
伏せ糊用の新品、そして糸目糊用の新品。

 使い古しの先端には口金がついています。新品も使う時の必要性に合わせて先端を切り口金を咬ませて使います。水分のある糊を常に一定の柔らかさ(含有水分)に保つのに厚い和紙で作られた筒が向いているのです。柿渋を塗って強度を高めているので渋筒と呼ばれています。
筒と一緒に写っているのは渋札(しぶふだ)
新品の先端を紙縒りして紐状にし、名前を書いて絹地の端に穴を開けて通しておきます。
蒸しや洗いといった他の業者さんにお願いする工程の時に迷子になるのを防ぎ、希望する作業内容も書いておきます。蒸気や水をくぐり抜け最後まで生地に付いていてくれるのは和紙だからです。


真糊による伏せ糊作業風景です。


渋筒が2本見えます。先端の太さを変えて糊を付けたいところの形状に合わせて使い分けます。霧吹きや水、濡れ布巾も、常に使いながら作業します。

 そうそう!和紙といえば着物を保管する「たとう紙」も忘れてはいけないですね。湿度から守ってくれるのはもちろんですが、着物を包んだ状態で持ち運びのためにザックリと三つ折りにしても破れもせずに中の着物をシワシワから守ってくれるのは、やはり和紙だから。

 記事によれば、和紙業界として文化庁に生産支援を求めているものの、「具体的対応は決まっていない」そうです。
ご存じの方も多いと思いますが、日本のお役所はまずこうした事に資金を出しません。
伝統文化、伝統工芸で、普通に民間任せにしていれば絶滅するだけというものに、遺す価値があるという共通理解が得られるなら、経済的な支援や、ドイツのマイスター制度のような制度的支援をすべきだと思うのですが。
日本の国の制度でそれらしい支援は、文楽や歌舞伎を下支えする人を養成する学校があることくらい。他はまったく…
天然素材だけで製造する手漉き和紙が失われたら…
室町以来の日本画の掛け軸や屏風など、100年から150年に一度は裏打ちの和紙を剥がして新しく貼り直さなければ、次世代に遺せないと聞いたことがあります。
日本の文化工芸の基礎のような手漉き和紙、無くなってよいと思う日本人はいないでしょうに!!

手描き友禅制作に必要な道具、材料でも危機に瀕しているものは沢山あります。
材料だけでなく生地や糸も
裾回し(着物の裏地、八掛とも)の数少ない製造業者さんの一軒が廃業し、裾回しの品不足、品質劣化が懸念されるというニュースが友禅業界に届いたのはごく最近のことでした。


着物あれこれ | 11:39 AM | comments (x) | trackback (x)

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