火事装束の着物

 
着物といっても種類は様々ですが、上野の国立博物館で見た火事装束には驚きました。


  火事装束 紺木綿地 刺子 人物模様(19世紀江戸時代)
            (写真横転、ご容赦を)


解説によれば、鳶(とび)職たちが担った町方火消しの装束だそうです。


 木綿生地に刺し子をして丈夫にしてあります。確かに刺し子になった布に水を掛ければ火が燃え移りにくかったことでしょう。

 この派手な装束で消火作業をしたのですね。
無事に鎮火すると、裏の派手な描き絵を見せて歩いたそうです。何人も組んで肩で風を切って歩いたことでしょう。
火事と喧嘩は江戸の華と言ったそうですが、といえば、


火事装束 猩々緋 羅紗地 波鯉模様 (抱き茗荷紋)19世紀江戸時代

この真っ赤っかの火事装束は大名家の装束だそうです。
頭巾も付ければ全身燃え立つようですね。

 女性用で火事に備えて用意していたものだと解説されています。抱き茗荷はどちらのご家中でしょうか。胸元も凝っています。


それにしても華やか。これで江戸の町をのし歩く機会はなかったと思うものの…
「火事だ!」という一大事で、お姫様がこんな装束に着替えようという発想が面白いですね。
 遠目には鳥の模様が刺繍されているかに見えましたが、近づくと鳥はワッペン状になっています。

この羽根の先が生地から浮き上がっているのは、縫いがとれてしまったのか、わざと飛んでいる雰囲気を出すべくわざと縫い付けなかったのか、どちらでしょう!(^^)!

いずれにしても目立つことが目的のような意匠です。

 江戸時代までの日本人、特に江戸っ子は陽気で踊り好き、自己顕示欲も強く遊び上手でラテン気質だったと聞いたことがあります。
そういえば源平武者の鎧は五色に彩られていたし、秀吉や政宗など戦国武者の派手さも有名。信長は宣教師も驚く和洋折衷の装いで目立っていたらしい…
今の私たちの横並び意識の強さは明治以降の学校教育の結果でしょうか~~??(+_+)

展覧会ルポ | 04:52 PM | comments (x) | trackback (x)

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