着物あれこれ

 
先月放送されたNHK BSの「関口知宏のヨーロッパ鉄道旅」でチビタベッキアという港町の教会のマリア様が紹介されていました。
チビタベッキアは古くからローマの海の玄関口だそうです。


どこにでもありそうな街の教会ですが、


祭壇の奥は日本の殉教者の群像。正面に日本聖殉教者の文字も見えます。


祭壇上部の天井画は、着物姿のマリア様です。


(写真横転、ご容赦を)

安土桃山期の富裕な女性の装いで、マリア様の白いベールは 袖があるところなど当時の女性が外出時に頭から被った被衣(かつぎ)を思わせます。濃い緑地に丸紋様散らしの小袖に金蘭の帯を締めています。
一方イエス様の小袖は真っ白で緋の袴。共にとても豪華かつ上品なお姿です。
       

作者長谷川 路可(はせがわ ろか、1897年~1967年)は、大正・昭和にかけて国内外で活躍した画家で、日本画だけでなくフレスコ画も描き、自身もカソリック信者だったそうです。
第二次大戦で破壊されたチビタベッキアの教会を再建するにあたり、ローマにいた長谷川路可が壁画の依頼を受け、このマリア像と日本の殉教者の群像が生まれたという解説でした。


教会の神父様は、関口さんのインタビューに対して、「長谷川路可は壁画を未完のままローマで亡くなってしまったので、いつかぜひ完成させたい」とおっしゃっていました。

それにしても、壁画はもちろん天井の梁にも日本調の模様が描かれた教会が、もう長く街の教会として地元に受け入れられてきた、という点に驚きます。
日本の町で、例えば、、美しい西洋人形のような仏様がローマ兵のような神将を従えているお寺が…地元のお寺として受け入れられるかというと…おそらく無理…
そこは大陸の大らかさなのか、または民族に関わらず殉教者にたいする敬意なのか、わかりませんが。

画像はテレビ画面からお借りしました<(_ _)>

着物あれこれ | 11:04 PM | comments (x) | trackback (x)
上野の国立博物館で、今は珍しくなった着物を見ました。
絽の着物紋付の産着です。


 縹地 海辺風景 単衣 19世紀江戸時代

絽は透けるように織った夏用の絹地
見るからに涼し気な紺色の夏の着物です。
刺繍も使われていますが、一番重要な模様である浜松は糸目糊で表現した友禅染です。


夏に透ける絽の着物でおしゃれしている方を、かつてはひと夏に数回は見かけたものですが、最近、とくに今年はゼロでした。
着物離れもとにかく……とにかく夏が暑過ぎるからだと思います。
生地が透けているからこそ下着をきちんと着る必要がありますし、帯はどう着付けても暑い……。
同じ東アジア圏でも、帯のない形で着衣が発達した韓国のチマチョゴリが羨ましいですね。などと言うと帯の機屋さんに叱られてしまいますが(^^;)
地球温暖化で35度連発の今の夏では熱中症対策が第一になってしまいました。

こちらは更に見かけることはなくなった産着、それも紋付です。
サイズが大きく見えますが、おそらく誕生直後は肩上げを多くして赤ちゃんをくるむように使ったと思います。今も最小限の肩上げが残っていますね。


 薄茶平絹地 貝模様 産着 17世紀

1600年代作とのことですが、友禅の技術が確かなので後期の作でしょう。
背中央に一つ、両袖と両胸にも紋がある五つ紋付きで最高格式の作りです。紋は縁を飾られた向い雀。綿入れ自体が贅沢品(綿が貴重)だったことを思えば、大変力の入った幼児用の着物です。



友禅特有の糊防染が効果的です。
模様にあまり色がなく、地色も薄茶なのは始めからそうデザインされたのでしょうか。
それとも江戸時代初期の作で非常に古いので退色?いえ専門家が見てタイトルに薄茶地といれているので始めから薄茶に染められたのですね。


紋が可愛く見えるような飾りつきなので女児用を思わせます。綿入れなので冬着なはずですが、海辺の貝の模様?ちょっと不思議な産着。由来を知りたいものです。
同じ江戸時代でも初期はまだ幕末期のようなカラフルな友禅染(後染め)は出来ませんでした。江戸中期以降に鮮やかな色合いの染料が日本にも入ってきて友禅染の発達を促したそうです。

今は子供の着物を手描き友禅で誂える話はトンと聞かなくなりました(>_<)
残念ではあるものの、実は……
汚すのが仕事の幼児に目くじら立てずに済むように、小さい間は化繊の着物でよいという意見に私も賛成です。
このような絹、友禅、綿入れの着物はお大名クラスか豪商、大地主などごく一部の人々のもので、一般の武士、商人はもっとささやか、庶民の子共は使い古しの木綿布子にくるまっていただけ。模様がないか古い絣か。
デパートの売り場で可愛い化繊のプリント柄の3才お祝い着を見ると、カラフルな着物を幼児に着せられる時代を有難く思います。

着物あれこれ | 10:39 AM | comments (x) | trackback (x)
2019年6月15日の朝日新聞の記事の紹介です。



 手漉き和紙の製造に欠かせないトロロアオイを生産してくれる農家が、このままではいなくなってしまうという記事です。
和紙の原料のコウゾ。そのバラバラの繊維をまとめるのにトロロアオイから取る「ねり」が必須なのに、重労働のわりには高くは売れないことや農家の高齢化もあって、わずかに残ってくれていた生産農家が作付けを中止すると表明したのだそうです。
 悲しいニュースです。農家のご事情も重々…

和紙は手描き友禅にも欠かせません。代表例では、
真糊(米粉と糠から作った糊)を絹地に引く時に使う道具、渋筒(しぶづつ)


 上から伏せ糊用サイズの使い古し(繊維が強くまだまだ使えます)
伏せ糊用の新品、そして糸目糊用の新品。

 使い古しの先端には口金がついています。新品も使う時の必要性に合わせて先端を切り口金を咬ませて使います。水分のある糊を常に一定の柔らかさ(含有水分)に保つのに厚い和紙で作られた筒が向いているのです。柿渋を塗って強度を高めているので渋筒と呼ばれています。
筒と一緒に写っているのは渋札(しぶふだ)
新品の先端を紙縒りして紐状にし、名前を書いて絹地の端に穴を開けて通しておきます。
蒸しや洗いといった他の業者さんにお願いする工程の時に迷子になるのを防ぎ、希望する作業内容も書いておきます。蒸気や水をくぐり抜け最後まで生地に付いていてくれるのは和紙だからです。


真糊による伏せ糊作業風景です。


渋筒が2本見えます。先端の太さを変えて糊を付けたいところの形状に合わせて使い分けます。霧吹きや水、濡れ布巾も、常に使いながら作業します。

 そうそう!和紙といえば着物を保管する「たとう紙」も忘れてはいけないですね。湿度から守ってくれるのはもちろんですが、着物を包んだ状態で持ち運びのためにザックリと三つ折りにしても破れもせずに中の着物をシワシワから守ってくれるのは、やはり和紙だから。

 記事によれば、和紙業界として文化庁に生産支援を求めているものの、「具体的対応は決まっていない」そうです。
ご存じの方も多いと思いますが、日本のお役所はまずこうした事に資金を出しません。
伝統文化、伝統工芸で、普通に民間任せにしていれば絶滅するだけというものに、遺す価値があるという共通理解が得られるなら、経済的な支援や、ドイツのマイスター制度のような制度的支援をすべきだと思うのですが。
日本の国の制度でそれらしい支援は、文楽や歌舞伎を下支えする人を養成する学校があることくらい。他はまったく…
天然素材だけで製造する手漉き和紙が失われたら…
室町以来の日本画の掛け軸や屏風など、100年から150年に一度は裏打ちの和紙を剥がして新しく貼り直さなければ、次世代に遺せないと聞いたことがあります。
日本の文化工芸の基礎のような手漉き和紙、無くなってよいと思う日本人はいないでしょうに!!

手描き友禅制作に必要な道具、材料でも危機に瀕しているものは沢山あります。
材料だけでなく生地や糸も
裾回し(着物の裏地、八掛とも)の数少ない製造業者さんの一軒が廃業し、裾回しの品不足、品質劣化が懸念されるというニュースが友禅業界に届いたのはごく最近のことでした。


着物あれこれ | 11:39 AM | comments (x) | trackback (x)

往年の大ヒットドラマ「おしん」をNHK BSで再放送中。
当時は見ていないので、この機会に毎朝見ております。

戦前の小作農の貧しさや商家の奉公人の過酷な労働、労働でなく奉公だから限りなくタダ働きに近い事等々が描かれていますが、当時の日常風景も随所に見られます。

昨日の放送で面白い場面がありました!(^^)!
おしんが着物を洗い張りするのです。女主人の絹の小紋。


まず解く。台所の立ち仕事の合間に。

隣家とのすき間のような庭で、洗った生地に刷毛で糊付けしているところ。


おしんが持っているのは引き染め用の五寸刷毛
今、東京手描友禅では良い刷毛は京都の製造業者の物を取り寄せているのですが、かつては東京でも製造販売されていて誰でも手軽に買えたのでしょうね。


糊付けしてピンとさせた生地を縫い直す。今度は夜なべ仕事で。
解くのと違い、まとまった時間座り込まないと仕立ては出来ないからでしょう。

着物は基本的に解いて生地の状態に戻さないと洗えません。
解く、生地を縫い合わせ反物状に戻す
それを洗い乾かす
そのままではヘナヘナなので生地に糊をつけて張りを持たせる。
張り手に生地の端と端を挟んで引っ張っておき、刷毛で液状の糊をつけていくのです。そして湯のし屋さんに出して生地巾を整えた後で仕立て直す、以上が工程です。

昔は家庭でも洗い張りや簡単な染めをしたと聞きますが、ドラマとはいえ映像で見ると実感がわきました。
このような引き染めに含まれる作業は馴染み深いはずですが…
この映像でみて初めて気付いた事が…

今は当然のように使われているプラスチック製のバケツがこの時代には無かったこと!
おしんは何度も腰を屈めて足元の木製たらいに刷毛をつっこみ糊を含ませ直しています。

プラバケツは軽くて、取っ手が付いていていますから、糊なり染料なりを入れて左手でぶら下げながら右手で刷毛を動かせるのです。左手は取っ手を持ちつつ生地も押さえられます。
下に置いた盥までいちいちかがむなんて大変(>_<)
想像しただけで腰が痛くなりそうです。
作業しながら生地に沿って移動するのに、盥では付いてきてくれません…
仮に木製の桶に麻縄で取っ手をつけたとしても…重い!
プラバケツが無いというだけで、現代の引き染めとは似て非なる労働です。

それにしても、おしんが刷毛を動かす姿はバッチリです。


確かにこの位かがみ、足も踏ん張り、手も大きく動かすのです。
実際にしている所を観察するか、教わるかしなければ出来ない動作でした。


かまどの火と刷毛の音だけが聞こえる無音に近いシーン。とてもきれいでした。

このブログのために画像をトリミングしていて気付いたのですが
画面左、かまどの上方にかかっている赤い団扇
まったく同じ物がぼかし屋にもあります!


ウン十年前に渋谷の画材屋さんで買い、揮発地入れなどに便利に使い続けているものです。
いかつい大きさで大風量です。
団扇と一緒に写っているのは伸子針
張り手で縦方向に張った生地を、横方向にもピンとさせるための竹針です。

染料がついて汚れたものを洗って干しているところでした。

最後にぼかし屋の糊張り風景


フノリ地入れと呼びます。
引き染め専業の業者さんを除けば、今も細長く隙間のような所でする作業です。
友禅染は人の多い街中の伝統工芸なので、たいてい空間事情は厳しく、狭くチマチマした場所が舞台です。もちろんぼかし屋も団地の一室(^^;


着物あれこれ | 07:33 PM | comments (x) | trackback (x)
このブログの名前は「着物ブログ」
東京手描き友禅の作業や作品紹介と合わせ、和服に関わる事を幅広くご紹介しています。
が、今日は着物のそもそも、事始めのお話。
実はNHKの番組の紹介です。

9月18日NHK BS放送の「人類誕生 未来編 第3集」より

何が驚いたといって!
これは縫い針縫い針保管用の筒型ケース


シベリア北極圏で約3万年前の遺跡から発掘されたもので、いずれも大型動物の骨から削り出し、磨いて作られているそうです。
縫い針を使えば毛皮を縫い合せて身体を隙間なく包む防寒着を作ることができます。



20万年ほど前にアフリカで生まれたホモサピエンスは、アラビア半島を経て4万年~3万年前頃には暖かい東南アジアまで広がり、南から日本列島にも到達したと分かっているそうです。
一方、北方寒冷地はサピエンスにとって不向きであったものの、中国大陸やシベリアにはマンモスやバイソンなど食料になる大型動物が多く、

しかも雪の上は足跡から動物を追いやすく狩猟に適していたので ホモサピエンスは防寒着を得ることで、食を求めて寒冷地へ、さらに極寒地に進出し、北側からも日本列島に到達したのだとか。なるほど…

最初は毛皮に穴を開けて頭を通すマント状だったことでしょう。
それではスース―するので紐(動植物の筋や根?)で胴を縛ったことでしょう。
さらに寒くなると毛皮で立体的に身体を包めたらいいなと思った誰かがいて、毛皮と毛皮を糸状の物で剥ぎ合せようと工夫した誰かがいて、
細い棒で紐や糸を通すことを始めた誰かがいて、そして
鋭い針を作り出した誰かがいたのですよね。
長い長い年月をかけて3万年前には今の毛皮コートと基本的に同じ機能の防寒着が作られていたなんて。


映像の針をよく見ると糸孔に大中小があるのです。
こういう針で縫えばこんな立派なコートを作れたはず、という映像。


着物、着る物、その一、でした!(^^)!
植物繊維や動物の毛を使って布が作られたのは、ずっと後、というより最近の事なのですよね、この時間軸で考えると。


参考→ 2018年3/18の当ブログ「サウジアラビア展」にて 紀元前後3世紀の布片を紹介しています。羊毛や麻で織り柄があります。土器石器とちがい大地に還りやすいので、最初の布が作られた時期は、専門家でも分からないことかと思います。

着物あれこれ | 06:42 PM | comments (x) | trackback (x)
麻や綿の生地でつくられた単衣(ひとえ、裏地のない着物)を帷子(かたびら)と言います。
現在友禅の技法で染色する場合、生地はほぼ絹地です。しかし江戸時代、絹は高価であり身分制上の制限もあり、なかなか着られるものではなかったので、今に伝わる友禅染の着物にも麻や綿に染めたものがよく見られます。
糊防染する友禅の初歩のものは庶民の着物からスタートしたのです。
暑い日々が続くからか、上野の国立博物館で友禅染の帷子を展示していました。


(画像が横向き表示になる場合はご容赦下さい)

江戸時代からこれまで保存されてきたのは「豪華」だったり「優れた染色」だったから。
この作品はその両方。しかも解説によれば清水の舞台の模様は当時流行だったそうです。


江戸の後期になると庶民でも物見遊山を楽しめるようになり、嵐山と並び清水は人気スポットだったそうです。今もあまり変わりませんね(*^^)

今風に言うなら無線友禅


竹笹を麻にスッキリと墨描きしています。


帷子イコール湯帷子(ゆかた)になっている現代の目で見ると、この作はゆかたそのものみ見えます。
でも解説によればこの帷子は元々は振袖だったものを後に袖を切って留袖に仕立て直したものだそうです。立派な外出着(訪問着)だったわけです。


こちらも今なら絹の単衣で誂えるべきところ。商家や農家で余裕ある階層がこのように豪華な帷子を着たのでしょう。それに八代将軍吉宗は経費節減のため絹物の直用を武士階級にも制限したそうですから、麻の友禅の需要は想像以上だったのかもしれません…


糸目糊がきれいに浮いている作品です。

現代の伝統工芸としての友禅染は手描き友禅型友禅に分かれますが、江戸期の友禅はほぼ手描き。型紙の発達を待って型友禅が盛んになっていきます。筒に入れた糊を手で挿す手描き友禅の方が原始的でした。江戸初期の素朴に太~い糸目糊の友禅を見たことがあります。



糸目友禅のお手本のような麻の帷子。糸目も細く、笠の中は※糊疋田です。季節先取りの紅葉。ぼかしも細かく刺繍もあしらわれている豪華版です。


どんなお嬢さんが、どんな髪型でどんな簪、小物を合わせて着ていたのでしょうか。タイムスリップして見てみたいですね。

極小の細かい絞りをぎっしり詰めた絞り染めを鹿の子絞り、疋田(ひった)絞りといいます。人気のある模様だったので友禅模様にそれを取り入れて糸目の糊を使って絞りのように見せることを糊疋田(のりびった)と呼びます。(なぜか糊鹿の子とは呼びません)


今回は帷子に合わせて江戸期のすばらしい団扇が展示されていました。


江戸後期から明治期までの作で、どれも大変凝った作りでした。


バラ模様 花の部分だけ和紙が貼られています。涼しそう!
でもよく考えると…風を起こす効果は低い?


流水もみじ模様 こんな狭い団扇の中に大胆な水しぶきが!


月模様 花の向こう、主役の月の部分は和紙を貼らずに余白の効果のような感じに。


玩具模様 お子様サイズでも手抜きのない作り。絵師の名前と落款があります。

八月も終わりますが、まだまだ暑そうですね。(^^;)


着物あれこれ | 11:00 PM | comments (x) | trackback (x)
7/20朝日新聞紙面で、とても美しいドレスの小さな写真をみつけました。
記事を読んでみると……
これが複雑な気持ちにさせられる内容でした。

「テクノロジーをまとう」と題して、最先端のスキャンや印刷技術を使ったファッションの紹介記事なのです。





目についたのはこの写真



新聞写真ながら、なんて綺麗な花のドレスでしょう!!
記事によれば、精密な3Ⅾスキャナーで生花を直接取り込んで生地に印刷したものだそうです。
立体をスキャンできる3Ⅾならではの奥行ある花柄になっているとのこと。
本物のお花を直接スキャン?!とアナログ人間としては驚くばかりです。
手描友禅の長々とした工程で、花びら一枚一枚から手描きする友禅屋としては、スキャン!印刷!というところで複雑な思いを抱きますが、こんなに綺麗ならもはや何も言えませんね

成人式がインクジェット印刷のレンタル振袖に席巻されて久しく、それを残念に思ってきました。どんな種類であれ「染めの着物」を着てほしいものだと考えてきましたが、印刷技術も、コンテンツを取り込むスキャンの技術も、デザイン力もすべて向上してきているということなのでしょう。
この記事のドレスと同じように高い技術とデザイン力による、友禅屋も脱帽するような美しいインクジェット印刷の振袖が世の中に出てくる日も遠くないのかも……
プロ棋士がAIに勝てない時代になっていることだし……(+_+)
フクザツです……


着物あれこれ | 12:08 AM | comments (x) | trackback (x)
 梅雨が明け、とんでもない暑さがやってきました。ぼかし屋所在地は東京都の南部。埋め立て地で海に近いため、北部や内陸部よりいくらか凌ぎやすいハズですが、暑い熱い!!
 そこで今日は、以前見た涼しげな織物を紹介いたします。
 今年一月の東京国立博物館に常設展示されていた18世紀の能衣装で、
ご覧いただきたいのは、右の白い衣装



水浅葱褸地水衣(みずあさぎ・よれじ・みずころも)

素敵にわざとヨレヨレっと織られているのです。

解説文は以下の通り。

褸(よれ)とは、経糸(たていと)に生糸(精練されていない無撚の絹糸)、緯糸(よこいと)に麻糸を用いて平織にし、経糸の間隔を粗くして緯糸の打ち込みをまばらにすることによって、よろけたような織り目をつけた織物である。能装束において、庶民の労働着として使用する水衣に好まれた。

なるほど!生地をアップいたしますと、



柔らかく涼しそうな生地ですね。
麻糸だけで織ると独特のゴワゴワ感がある織物になるところを、半分は絹糸で織って柔らかくして、材質の違いから絹糸が麻糸の間をフワフワと踊っているような感じに織られていました。

 大辞林によれば、(要約)
水衣→ すいい、みずごろも。
・水仕事などをする時に着る衣。
・能装束の一種。緯(よこ)糸を太くするかまたは緩く織って波打たせた絹の上衣。シテが用いれば漁夫・樵(きこり)などの粗衣に,ワキが用いれば僧衣となる。

 能衣装においては庶民の労働着に使われたとのこと。
日本の夏は昔から湿度が高かったわけですから、働く庶民は少しでも涼しいように、同じ平織でも糸に遊びを持たせて織り、肌に密着しないように工夫したのでしょうか。もっとも絹が労働着に使われたとは思えません。実際は麻か木綿で褸地を織っていたのかもしれません。

 難しい漢字が並びましたが、(よれ)はボロを表わす襤褸(らんる)と同じ文字ですし、形状から見ても、この織り方が「ヨレヨレ」の語源に違いないと思います。
残念ながら、手元の事典や本、ネット検索やら色々あたっても「語源です」と言い切ってくれる文章には出会いませんでした。
 どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら、
お問い合せフォームからお知らせくださいますか。

この記事には続きがあります▼
着物あれこれ | 04:02 PM | comments (x) | trackback (x)
 少し前になりますが、NHKアーカイブスの放送で
「祇園・継承のとき 井上八千代から三千子へ」
を観ました。
感銘深かったのでテレビ映像をお借りして紹介させていただきます。
京舞・井上流の四世である井上八千代さんが、家元八千代の名を孫の三千子さんへ譲るにあたり
家元の暮らしや舞の披露、稽古の様子を収録した番組です。


   新しい家元として三千子さんが舞う「虫の音」

 「虫の音」は井上流家元には重要な演目だそうです。
日本舞踊には特別の知識のない私でも、隙のない身ごなしを美しいと思いました。



 紋付きの色留袖 白の比翼つき。
裾模様の背には模様がありませんが、下前に柄がある両褄模様の形式。
足の運びで下前の柄が見え隠れします。

 バレエのように動き自体に華やかさがある訳ではないのに、なぜ素人目にも美しく感じるのかと考えていて、常に体の中心にある帯締めに目が行きました。



 濃い色目の着物と帯に、正装としての真っ白な帯締め。それだけで全体が引き締まりますが、
印象的なのは帯締めの房。ピッと上を向いています。
どの場面でも上を向いた白い房は、ふんわりと広がり存在感を示しています。



 なぜこんなに帯締めと房が綺麗に見えるのか、ビデオを見返して考えました。
 おそらく、踊り手が大きく動く時も、傾いた姿勢をとる時も、
体幹だけは常にまっすぐ上を向いているので、帯〆の房部分は床に対していつも垂直となり、
白い房が常に真上を向き、房の糸がふんわりと折り返しているために華やかに見えるのだと思い当りました。
踊り手の動きに合わせ、房がフワッフワッと小気味よく踊るのです。
動く映像でなくて残念です。

 体幹が常に真っすぐな踊り姿…。


 そう思いつつ映像で見ると、全体に思いがけないほど筋肉質でいらっしゃるのが、着物の上からでも分かります。後を継ぐ家元としての日頃の鍛錬の賜物が、筋力となって隙のない舞姿を下支えしているのでしょう。敬服…。

 色留袖の柄は刺繍のように見えました。四世家元が初めて虫の音を舞ったときのものだとか。
染めでないのがちょっと残念でしたが、別の場面の映像「初寄り」(新年の挨拶)で弟子である舞妓さん、芸妓さんたちにお屠蘇をふるまうときの黒留袖は、遠目ながら椿を描いた手描友禅でした。





 「虫の音」の練習風景。


 深緑の付け下げ小紋に椿の染め帯。椿に合わせて帯〆は赤。小紋の裾回しは帯の地色と揃えて薄黄色。和服ならではの色合わせです。こんな着こなししてみたいものですね。

 最後に同じ番組から、祇園の巽橋を渡る舞妓さんの映像を。


 傘をさし道行を着てお座敷へ。舞妓さんの映像を見ることは多くても、このような道行姿は珍しいですね。黒繻子の掛け衿が町方の娘らしい可愛らしさです。

着物あれこれ | 12:55 PM | comments (x) | trackback (x)
最近ちょっと面白かったことをまとめて紹介いたします。

①色挿しの作業中に写した一枚です。



 先週色挿しの時、明るい緑をベースに渋く黄味のある緑を作ろうと染料皿に緑、黄色、赤味のある茶色を筆で混ぜ入れたところ、混ざり合うまでの間、白い染料皿の中で、まるで唐三彩の色合いのように美しかったのです。偶然の妙にしばらく眺めておりました。
 写真では混ざり具合があまり写らず残念…

 手描友禅で、模様に色挿しをする時、基本的には粉末の染料を染料皿の中で水と一緒に煮溶かして液状にして一色ずつ作って使います。それを利用して色数を増やしたりもします。例えば、濃い一つの色を水で薄めて中間色、淡色と段階をつけた濃淡の色合いを作ったりもします。また煮溶かした赤と青を混ぜれば紫になります。染料は液状にした後で、組み合わせを考えて混ぜると相性のよい様々な色を作ることができるのです。
 合わせる染料の分量を加減して、同じ色でも微妙に違いを出すこともできます。
 そういうわけで染料皿とスポイドや筆を手に、理科の実験のようにあれこれ混ぜるわけです。

羽田空港第二旅客ターミナル3階にギャラリーがあるのをご存じでしょうか。
私は今回初めて見学したのすが、狭いながらも落ち着いた雰囲気で空港内の施設とは思えませんでした。
「大名家のお姫様」という題で、熊本の大名、細川家の女性たちに関わる品々の展示でした。興味深かったのは着物の「雛型」です。



 A4版程度の大きさに非常に細かく着物の模様を描き込んだものです。受注に際して注文主に見てもらうための下絵にあたります。まるで細密画のよう!驚異!敬服!

合貝(あわせがい)


 婚礼道具に欠かせなかったという貝合わせ。この展示品は絵が細かく人物だけでなく背景まで詳細に描かれていました。大名家の所蔵品の合貝でも、もっと簡単な絵の物もよく見るので、これは大変質の高い造りだと思いました。

白綸子地に刺繍の小袖



大正時代のもので新しいので白地も綺麗で、さすがに格式が第一という感じの柄行きでした
(写真は照明が写ってしまいました)

1月25日 新宿高島屋で驚きの絵を観ました。



 画家で山本太郎さんとおっしゃる方の展示会に行き合わせて観たのがこの絵です。

 いうまでもなく尾形光琳の紅梅白梅図屏風をもじったもので、中央の流水がピンク!よく見ると流水は右上方の缶から流れ出ているのです。缶ジュースがこぼれ出ているのが流水なのです。凄いですね。
 よくぞこんな表現を思いつくものです。もじった絵でも、ここまでくると素晴らしい創造ですね。ご本人もいらして「カメラ撮影歓迎、ブログ掲載も大歓迎」と言っていただいたので紹介いたしました。
 山本さんは日本画の古典にユーモアやパロディを交えて大胆にアレンジした「ニッポン画」を創作されているそうです。今後どんな創作をなさるのでしょうか。機会あればまた拝見したいものです。


着物あれこれ | 12:06 AM | comments (x) | trackback (x)

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