展覧会ルポ

 
サントリー美術館「名品ときたま迷品」展より

サントリー美術館で開催中の「名品ときたま迷品」展で是非ご紹介したい染織品に出会いました。
まずは着物の王様である打掛


緋綸子地 葵藤牡丹 扇面模様 打掛 18世紀

長いタイトルですが、要点は→緋色の綸子生地に葵と藤と牡丹を扇模様と共に刺繍で描いた打掛
パッと見ますと良くある江戸時代の打掛ですが、ふと気づきました!模様にまったく繰り返し部分がないのです。


葵の葉のあしらいも藤も牡丹も全体の調和の中で一箇所も同じ模様を繰り返していません。




でも全体で見ますと落ち着いた総模様の打掛となっていました。
呉服の豪商出身、尾形光琳の燕子花図屏風が同じ模様のパターンを繰り返して配置してリズム感のある構図を作っているのは有名です。着物の模様は特に繰り返して配置した方が綺麗に見えます、普通は。






でもこの打掛は、端から端まで長めましたが、みんな違ってそれでいい調和なのでした。
このような打掛は初めて見ました。


18世紀の作という解説でしたから、江戸時代も前期の古い打掛かと思いますが、色も綺麗でした。葵の紋付きと言えるほどたくさんの葵の葉がありますから徳川家ゆかりのお姫様の打掛ですね。


打って変わってこちらは皮製の羽織、19世紀(江戸末期)の火事装束だそうです。
木綿の染めに見えましたが、よく見ると確かに皮革です。




これなら火の粉の中もくぐり抜けられそうです。
打掛のように当時から高級な貴重品だった物は最初から大切に扱われたので今日までの保存も出来たことと思う一方で、この火事装束のような庶民の物で、当時は珍しくなかった衣装が保存されてきたのを見ると、よくぞ今まで!と褒めてあげたい気がしますね。

代々の持ち主さんが、染や縫製の確かさから「これは保存しておかなくちゃ」と思い継いできたのでしょう。

この展覧会は6月16日まで。
有難いことにサントリー美術館は所蔵品であれば基本的に撮影可です。
世界水準!(^^)!

展覧会ルポ | 12:26 AM | comments (x) | trackback (x)
明治天皇の妻、美子皇后の大礼服(一番正式な儀式用のドレス)が展示されています。
2023年11/9の当ブログで紹介した大礼服の本物!


明治神宮ギャラリーにて5/6まで

テレビ映像で見たイメージより繊細な生地で修復の困難さが偲ばれました。
修復記録によれば、明治維新から数年で、西陣の若い技術者を技術留学生としてリヨンに送り出し、明治20年代にはこの大礼服を国産するほどの力をつけていたというのですから驚きます。
美子皇后は絹織物産業振興に、従来知られてきた以上に力をつくした方だと最近の研究で分かってきたそうです。


他に十二単や日常のドレスも展示されていました。

十二単の生地はこれまでに見た事もない豪華で緻密な有職文様でした。生地から浮き上がるくらい立体的に紋様が織り出されているのです。
すべて撮影禁止だったので展覧会チラシしかお見せできず残念ですが、細かいながら、手織らしく優しい感じがしました。機械編みのセーターより手編みのセーターが優しい感じがするのと同じ意味です。
着物だけでなく服飾に関心のある方は必見です。
これからの季節、明治神宮は菖蒲の見頃を迎えますので、大礼服見学を合わせていかがでしょうか。

展覧会ルポ | 12:44 AM | comments (x) | trackback (x)
冬枯れの箱根に行ってきました。
木々に葉がなく素通し状態なので、回りを取り巻く「箱根の山は天下の険」を見渡すことができました。見渡すというより険峻な山々に見下ろされている感じ。
箱根の山々は遥か昔のカルデラ噴火の跡だそうです、そう思うと…恐ろしい…ですが、木々の緑のない時期の箱根は迫力あってお勧めです。


千石原で撮影
駆け抜ける赤いスポーツカーが枯れススキの間から見えました。慌てて写したわりにはお気に入りとなりました。


観光客の少ない静かな仙石原にエンジン音を響かせて走り去りました。


訪ねたのは岡田美術館の「金屏風の祭典」
安土桃山期から江戸期の金屏風の所蔵品をまとめて展示するイベントでした。


上→ 長谷川派が得意とした柳橋図
下→ 狩野派得意の松に鶴図

どちらも何度見ても見飽きません。「お師匠さんの手本に沿って一生懸命描いた」と伝わるところもまた好きです。

驚いたのはこちら、




尾形光琳「菊図」

光琳の屏風はどれも有名なので、何かの展覧会、何かの本でほとんど見ていると思っていましたが、こちらは初めてお目にかかりました。
門外不出なのでしょうか。(画像は展覧会チラシから)
リズミカルに菊だけを配置している光琳らしい屏風でした。

金屏風展以外にも岡田美術館の豊富な所蔵品が常設展示されていて、見ごたえありました。特に中国の陶磁器。全館撮影禁止だったので紹介できないのですが、乾隆帝の時期に焼かれた「豆彩」という彩色技法の磁器が美しかった!
白地に細かく紋様を描き込んであり、それをクッキリ見せるため模様を青で縁取っているのです。


(美術館HP写真から一部お借りしました)

花瓶の白い表面に模様がくっきりと浮きあがって見飽きません。
清朝最盛期ですから逆輸入で日本やヨーロッパの焼物技術の影響を受けているそうです。

金屏風展は6月2日まで。五月下旬に訪ねれば箱根の紫陽花も楽しめます。
(ぜったい混んでます(^^;))

展覧会ルポ | 11:49 PM | comments (x) | trackback (x)

東京国立博物館の正面階段のお正月展示
この踊り場は半沢直樹ドラマで、銀行に金融庁が押しかけてくる場面でさかんに登場しました。



一月には毎年、東京国立博物館で長谷川等伯の「松林図屏風」の展示があります。
一月に行ってみるのは初めてでした。


国宝中の国宝だと思うこの屏風。
久しぶりの再会。さすがの貫禄。
等伯が描きたかったのは木立の中央に横たわるモヤ。
自分の心象風景を描いた日本では最初の画家だとぼかし屋は思うのであります(^^;)

一月にふさわしい着物の展示も。


江戸時代の夜着。分厚い掛け布団です。解説によれば「夜着は普通友禅染だが、これは絞り染め」とのこと。当時の製品としては友禅染より高級品となります。
色々な絞り方が駆使されています。今なら打掛にしても超豪華なのに、これをお布団にしてしまう贅沢には驚きます。江戸時代は庶民に対して何度も奢侈禁止令が出されていますから、持ち主はおそらく商家で、娘の婚礼のために見えないところで贅をつくしたのでしょう。。



橘の木立を描いた小袖。橘は代表的な吉祥文様です。


主役は刺繍と糊匹田による枝ですが、脇役として友禅染で描かれた橘もありますよ。


橘と葉のブルーのところです。
細い細い真糊の糸目がきれいでした。


展覧会ルポ | 11:50 PM | comments (x) | trackback (x)
ぼかし屋は都内、地下鉄東西線の沿線。同じく東西線の竹橋駅から徒歩1分の丸紅ギャラリーにひとっ走り行ってまいりました。
「よみがえった女房装束の美 源氏物語」を見に。




源氏物語に描かれた十二単を実践女子大のチームが五年がかりで復元したものの展示です。

十二単は着装姿の呼び名ですが、復元は裳、唐衣、襲ね衣などパーツごとに精密に再現したそうです。


NHKのアートシーンでも紹介されていました。
(画像はアートシーンから)
現存する衣装には平安時代の物がないため、「誰も見たことのない衣装」を源氏物語の明石の君を描いた部分から調査、再現したとのこと。大仕事です。


拝見してまず思ったのは「柔らかそう」
例えば皇族の婚礼衣装やお雛様から受ける印象は、ゴワゴワした硬い衣装を複雑に着重ねたというもの。ところが復元衣装はどれもフワッと柔らかそうな生地で、縫製も柔らかそうでした。一番硬いであろう上着でさえ柔らかそうな織りでした。
これなら何枚も重ねて着て生活しても大丈夫です。



会場の説明の中に、「平安時代の衣装と、江戸から現代までの衣装はかなり違う」「特に明治時代になると、西洋式に立ち姿が整って見えることが優先され、衣装を硬く張らせるようになった」とありました。なるほど。柔らかい衣装は立つと身体に沿ってタラリと流れてしまい見栄えがしないと考えられたのでしょう。
江戸時代以前の宮中では生活も儀式もすべて座って行われ、まして平安時代、源氏物語には「姫君方は立ち歩くことさえまれ」とありますよね。
(現代語訳しか読んでいません、悪しからず)

源氏物語の描写には紐や帯が登場せず、衣服は襲ねて(重ねて)羽織っていただけだそうです。正装する場合には裳を腰に付け、裳の紐部分が腰を締めただけのようです。
源氏物語の中には「窶れて薄い肩」などという表現がありますが、これまでは何となく明治以降の十二単や袿を念頭に着ている人の体型など分からないだろうと思っていましたが、この復元衣なら肩が薄いことはよく分かることでしょう。

上着にあたる袿(うちき)の再現
二陪織物(ふたえおりもの)と呼ぶとても高度な織物だそうです。地紋を織り出した生地にさらに別の色糸で有職文様を浮き織りにすると説明がありました。実は今一つ技については理解できませんが、見るからにスゴイ技術で、しかも柔らかそう。触ってみたいですね!

(表を裏が両方見えるように展示されていました)

復元品の展示だけなので時間はかかりません。チョット見でもOKです。
平安時代の衣装が見られるのは今月末、12月28日までです。

さて来年の大河ドラマは紫式部。十二単のオンパレードになりそう。
いったいどのような衣装、お化粧、室内照明が描かれるでしょうか。
以前の大河で平安末期の平清盛が主人公となった時、映像がかなり史実に迫っていて、身分ごとの衣装や油を燃やすだけの室内照明を表現していて楽しめました。
ただし視聴率は芳しくなかったと記憶しております。.残念ながら.「衣装が汚い、暗い」という理由で。
確かに映像は全体に暗く、若い清盛やその家族の衣装が擦り減っていたり、庶民に至っては襤褸をまとって登場してました。でもそれが本当だったろうと思います。
絹どころか麻の生地でも貴重で、いつも新しい状態で着ていられたのは、ごく一部の階層だけだったからです。照明もそう。性能のよい蝋燭や行燈はもっと後の発明だそうですよ。薄暗い中に再現衣装のような衣をふんわりまとった女性がいたら、神秘的だったでしょうね!

女性衣装の話から逸れますが、ドラマに登場するであろう調度品、古い型(幅が狭い)の屏風、御所車や輿、男性の普段着、特に天皇の衣服が楽しみです。
室町時代や江戸時代を舞台にしたドラマで登場する貴族男性はみな制服のように黒い衣冠束帯ばかりですからツマラナイ。
男性の普段着である直衣(のうし)も実は今の今のものより柔らかく着やすい衣装だったのかもしれないですね。
それにしても来年の大河ドラマの衣装関係の制作費は膨大なのでは?
コンピューターグラフィックスで着ているように見せる、のはやめていただきたいですね~~(^_^;)

展覧会ルポ | 10:13 PM | comments (x) | trackback (x)
手描き友禅のお話ではないのですが、今回は陶芸家、板谷波山の紹介です。
失礼ながら最近までまったく存じ上げない作家でした。
NHK日曜美術館のアートシーンで彼の展覧会が紹介され、初めて見る美しい色合いにビックリしたのでした。



この夏、東京の出光美術館で開かれた展示には行けませんでしたが、ご縁あって九月、京都の泉屋博古館で作品を観ることができました。
これほどの作家なのに知名度が高いとは言えず…。ぜひ皆さんに紹介したいと思います。
(写真は図録とアートシーンから)


板谷波山(1872年~1963年)茨城県下館生まれ。
明治5年から昭和38年に91歳で亡くなる直前まで作陶を続けた方だそうです。

写真の作業は形を作ってまだ焼いていない花瓶に紋様を彫り起こしているところ。左ページが彫り上げてこれから彩色する花瓶。


このように彫りあがったらいったん焼き、彩色をして焼く。色も微妙な濃淡をつけるために何度も彩色と焼成を繰り返し、最後に仕上げの釉薬を塗って焼き上げる。
これが波山の一番の特長だそうです。


唐花文の花瓶 
紋様を粘土地の花瓶に彫り付けることを肉薄彫と呼ぶそうです。


なるほど花弁の微妙な色の変化は、塗っては焼きの繰り返しから生まれるのでしょうね。


こちらは構図と色調の素晴らしさに頭が下がるばかりだった作品
平面に書いてもバランスが難しい竹笹を全面に描いています。幾何学的になることなく、笹は自由にノビノビを葉を伸ばしていてスキがありません。


葉の色調は一枚一枚違っていて前記の「何度も繰り返し…」の波山の手仕事ぶりが伝わります。全体の青磁色も上品で、近代工芸から国宝が指定されるなら、私が選んでよいならコレ!と思ったことでした。


同じ技法の紫陽花の花瓶。肉薄彫りが良く見えています。


紫陽花好きのぼかし屋としては!お手本、お手本です。

波山のもう一つの特長が柔らかいマットな仕上がりになる釉薬の工夫。葆光彩磁(ほこうさいじ)と呼ぶそうです。



このように模様をベール越しに見るような柔らかい色調になります。

こちらは花の文様部分は優しい彩色で、一方で地色の青はくっきり鮮やか。


写真では分かり難いのが惜しいほど
美しい緑がかった青でした。


本物を観る機会があって幸運でした。

10/23まで京都の泉屋博古館にて。
https://sen-oku.or.jp/program/2022_itayahazan/

茨城県筑西市の板谷波山記念館
https://www.itayahazan.jp/

   履歴の要約
1872年茨城県下館生まれ。
美術工芸に親しむ家庭環境から東京美術学校、美術教師として金沢に赴任するなど、行く先々で精力的に彫刻、絵画、工芸全般を吸収して自身の作風を追及し続けたとのこと。
31歳で東京田端に窯を開き本格的に作陶生活に入り、生活のために妥協した作品を売ることはせず、貧困に耐えて今日展示されるような作品群を作り上げた。
作品の評価を得て後半生は生活も安定。文化勲章を受章するなど社会的名誉も得てなお作陶中心の生活は変わることがなかった。


作陶の幅は広く、代表作以外にも茶碗、水差し、香炉なども。


渋い天目茶碗も見事でした。

華やかな優しい色合いの花瓶の数々、青磁白磁などなど。これほど幅広い技術をもつ陶芸家は他に思い当りません。彫刻から絵画までこなしたミケランジェロを思い出しました。


展覧会ルポ | 01:37 AM | comments (x) | trackback (x)
都心のまん真ん中、地下鉄東西線の竹橋駅3a出口すぐの商社、丸紅ビルの3階に美術ギャラリーがあります。コレクションは主に江戸時代の貴重な着物たち。


竹橋駅ホームの案内。左端上にボッティチェリ。すごい所蔵品ですね!

この丸紅ギャラリーで6月から所蔵着物を紹介する展示が行われています。行ってきました。
ビジネス街の商社ビルなので一瞬入っていいのかな?という感じでしたが、3階へ直通エレベーターがあり助かりました(^^;)
1858年創業の丸紅は大阪京都で呉服を商っておられたとか。技術的に大変優れた着物のコレクションでした。
お勧めのいの一番はこちら。(写真は図録より)


染分 綸子地 松皮菱 梅樹模様 振袖
意味は→ 綸子の生地に松皮菱の形を赤青を染め分け、白地には梅の木を配した模様の振袖。


解説によれば赤は紅、青は藍。大きな松皮菱の中は鹿の子絞りです。
本物を見ますと鹿の子絞り独特の角(布を摘まんで糸で絞った跡)が今もツンツンしていました。


絞り染めでこのように広く白地(紅や藍の染料に漬からない部分)を残せるというのは大変な技術です。梅の花だけは色を入れた絞りで枝や蕾は刺繍です。
江戸時代1700年代前期の作だそうです。贅沢な一品ですね。


 濃緑 縮緬地 梅樹滝模様 小袖
江戸時代1700年代前期の作。1600年代終わり頃に完成したといわれている友禅染の技術。その初期のお手本のような小袖ですね。線描きした糊で防染し花びらを濃淡染め分けしています。

梅のシルエットや扇の形、滝も糊防染。防染していないところに刷毛で濃い緑を引き染めしています。


 納戸 縮緬地 秋草蝶模様 振袖

こちらは同じ1700年代でも後期の作。とても粋な柄行きです。
線描きした糊(糸目糊)で白い線が紺色に浮き上がっています。


線で秋草の流れを作っています。白抜きのままの花も多く、くどくど色を付けない大人っぽい振袖ですね。

もう一つ白抜きを多用した作がこちら。


 鼠縮緬地石橋模様振袖
こちらの色の部分は刺繍ですが、牡丹のほとんど、流水すべてが糊防染での白地残し(白抜き)で表現しています。


最後はこちら。

 藤鼠縮緬地流水草木風景模様振袖
解説に1937年京友禅の名工、中川華邨の作とあります。

今の京友禅は艶やかな色合いを塗り切る(舞妓さんの着物のように)ことが多いようですが、戦前のこの作品は中間色に濃淡ぼかしを多用した糸目友禅です。素晴らしい!!




こんな美しい糸目の松の表現は見た事がありませんでした。お手本にしなければ。

この展示は8月1日まで。駅近でなおかつ!大手町の大規模ワクチン接種会場のすぐ近くです。

展覧会ルポ | 05:18 PM | comments (x) | trackback (x)
フェルメールはオランダが貿易国として一番華やかだった時代、17世紀の画家です。日本で言えば徳川家光のころ。長崎に出島ができて鎖国の日本がヨーロッパの国として唯一通商を続けた時期です。同時期のレンブラントほどの知名度はありませんが、一番有名な「真珠の耳飾の少女」(青いターバンの少女)ならご存じの方も多いのでは?
実はぼかし屋イチ推しの絵がフェルメールのこの絵。(写真は展覧会チラシと絵葉書から)


窓辺で手紙を読む女  所蔵:ドレスデン国立古典絵画館

昔々まだ高校生だった時に都内の展覧会に展示され惚れ込んで以来です。ドレスデンは遠く、再度見られるとは思っていませんでしたが、何と絵の方が上野に来てくれたのです。


「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」
4/3まで。上野の東京都美術館にて。


この展覧会チラシは工夫されていて


このように表紙の絵の右半分が入れ替わるように印刷されていて、


入れ替えると絵の右上にある絵、壁にかかったキューピッドの絵が消えるのです。女性の後ろはモスグリーンの薄明るい色合いで無地。(それはそれで実に美しい空間でしたが)
長い間、フェルメールの作品として親しまれてきたのはこの状態の方。ですから嬉しい配慮です。キューピッドは絵を修復した結果、現れたのです。

誰が何故キューピッドを消したかは諸説あり分からないそうです。
ぼかし屋の勝手な想像では→ 持ち主が厳格なキリスト教徒だった時期に「愛のキューピッド」を嫌って消した、です(^^;)

展覧会の解説を要約しますと、無地の壁にはもともとキューピッドが描かれていることは以前からレントゲン撮影で分かっていました。


でもそれはフェルメール自身によって塗り潰されたと考えられてきました。であれば無地の壁はフェルメールの制作の一部です。
ところが最新の技術によって絵具の経過年数が分かり、塗りつぶしの絵具はフェルメールの没後何十年も経ってから塗られたことが分かったそうなのです。すると壁にはキューピッドがいることが彼の意思。
そこでキューピッドを覆っていた絵具を少しずつ取り除き、フェルメールが描いた状態へ修復したのだそうです。



汚れも落とした結果、キューピッドが現れただけでなく、窓からの光はより明るく、女性の姿も背景の壁も明るく浮かび上がったのでした。


東京都美術館に飾られた絵はモスグリーンの色調の中に青、赤、緑、黄が落ち着いた色合いで溶け込み、光の中に手紙を読む女性がいました。女性の服のシワ、後れ毛に光が反射して深みを出していました。


キューピッドの絵が飾られた室内の描写は手紙がラブレターであることを暗示しているそうです。フェルメールの作品の中では大型で、近くで鑑賞できたのでオリジナルならではの細やかな筆使いと色合いを見ることができます。
まだ会期がありますがコロナ感染防止のため入場は予約制です。これからお出かけの方は上野公園の桜が見られそうですね。


展覧会ルポ | 11:08 PM | comments (x) | trackback (x)
日本の婚礼衣装展 そごう美術館

見て来ました報告が遅くなりましたが、横浜のそごう美術館に行ってきました。
「ジャパニーズウェディング 日本の婚礼衣装展」

江戸末期の武家の婚礼衣装や道具から1900年前後の商家、豪農の花嫁衣装が、これまでにない規模で展示されていました。
会場入り口すぐ、大名家伝来の打掛、帷子三点の展示だけは撮影自由でした。



三点とも主役は刺繍。武家の婚礼で花嫁や付き添いの女中衆が着用したものだそうです。
松竹梅を基本に、水に遊ぶ亀を配置した図柄です。


竹笹は匹田糊を使って防染し、鹿の子模様です。糊や染料の出番はここだけで、あとは総刺繍。経過年月にも関わらず、素晴らしい保存で糸の退色が感じられず、伸び縮みによるツレも気にならない程度です。
目を近づけて、つくづく拝見。


松の放射線状の糸に勢いがあり、


岩が厚みや、水の軽やかさが糸の挿し方で表されていますね!!


亀は刺繍に刺繍を重ねて甲羅を重々しく。


こちらの亀は染めの上に刺繍を重ねています。


鶴も羽の羽ばたく向きに糸が通っています。

さて今度は明治期以降の町方の婚礼。

この写真ご覧ください。
松竹梅の図柄で三色の地色で染め分けられています。



披露宴で今も使われる「お色直し」という言葉。白い衣装だけでなく、色物の衣装も着たいから、あるいは、多くの衣装を持って嫁入りすることで家の力を誇示した名残りで使われる言葉だと漠然と思っていました。でももっと深い意味があるそうなのです。

(写真は図録から。解説は主にNHK日曜美術館アートシーンより)
日本語の白、赤、黒の語源は 昼の白、夕焼けの赤、夜の黒だそうです。それをすべて重ねることで、時間の移ろいを見にまとうという意味があったとか。
婚礼の時、輿入れ、盃事は白い衣装で、夕刻のご披露は赤から始まり、やがて深夜の黒へというのが「お色直し」
よく言われる「婚家の色に染まりますという意思表示」としての白でもあったでしょうが、アートシーンによれば、自然な時の流れをそのまま取り入れるという日本人の自然観が、婚礼衣装に現れているという解説でした。

江戸時代の婚礼ファッションブック「手鏡模様節用」1700年代末頃


右下に文字で、上着の地色は黒、中着の地色は赤、下着の地色は白、と書かれていて、挿絵の着物は裾をめくって描かれ、黒、赤、白の重ね着だと分かるようになっています。

展示では様々な三色の取り合わせが見られました。


まったく同じ図柄の色違い。おそらく重ね着でしょう。
三着とも、きっちり左右対称な柄付け。注文主の性格もしのばれますね。
財力によって三色を着替えたり、重ね着したりしたそうです。地域性や流行もあったことと思います。


こちらは打掛三点です。どれも裾のフキが厚く刺繍も多く、でもよく見ると図柄は少しずつ違えてあります。昼、夕、夜で着替えたことでしょう。

1900年代になり財力面で中間層が増えてくると、手に届くお値段の贅沢を求めて衣装の簡略化が進みます。
こちらは着用時に下になる部分を(どうせ見えない)簡単な生地で代用したもの。着れば三枚重ねに見えます。


日本では十二単の昔から着物を重ねて(襲ねて)着ることが礼装として大切なポイントでした。このような工夫は、簡略してもなお礼装、三衣襲ねでありたいという意味でしょう。
さらに簡略化され、重ね着を止めたのがこちら。

1930年頃の婚礼用振袖。もはや表着の黒だけです。
図録のこの写真は会場でも同じように着装で展示されていました。現在の振袖にかなり近い着装です。重ねの部分は比翼仕立てになっていると思われます。着物の裾と袖、袖の振りにだけ生地を縫い付けて、二着を重ね着しているように見せるものです。
このような黒地の振袖は1900年代半ばで長く花嫁衣装の主役でした。

このような比翼仕立ては今でも黒留袖に残っているものの、現代の振袖ではほとんど見られなくなりました。
黒地の振袖の着装、後ろ姿。


丸帯(帯全体に模様が織り込まれている織り帯)を膨ら雀(ふくらすずめ)の形に結び、腰にはしごきを巻いています。現在では袋帯(着装時に隠れる部分の模様織を省き軽くした)が主流で、しごきも七五三女児だけに残っています。
現代の振袖でも重く動きも不自由ですが、かつて本当に三着も重ねていたお嫁さんはさぞ重かったことでしょうね(^^;)

会場には何本か帯も展示されていました。その中で一番美しかったのがこちら。


葉も花も、ほとんどの色目にグラデーションがあります。濃淡をだす毎に僅かずつ織り糸を変えていくことを想像すると、恐ろしいほどの手間の結晶です。

本当に目の保養でした。

展覧会ルポ | 10:55 PM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館で今開催中の、ちょっと面白い展覧会の紹介です。

まずはこちらを。華麗な手箱。
教科書にも載っていたりする国宝です。


浮線綾螺鈿蒔絵手箱(鎌倉時代)

両手でしっかり持つほど大振りな作りで、金地を埋め尽くしている螺鈿は剥落も少なく、新しかった時は揺らめくように輝く箱だったと思われます。

この工芸品だけなら、これまで国宝展などで見る機会はありました。今回の展覧会が面白いのは、手箱を保管していた箱も展示されていることです。


蓋の裏に手箱の由来が書かれていて、解説によれば、この手箱は北条政子の愛用品だったこと、火災や破損を免れ今日あるのは政子の霊力のおかげだと書かれているそうです。
箱は江戸時代1819年に誂えられたとのこと。
日本史上、有数の女性権力者だった北条政子、さすがの所持品です!


こちらは会場で撮影した写真。箱と手箱が背中合わせに見られます。一部の除き会場は撮影自由でした。有難いことです。

こちらは展覧会パンフレットの写真から。


同じく鎌倉時代の笛で、小男鹿丸という銘の「笙」
独特な形が安定するように作られた箱。箱は後世に作られたもの。葵のご紋が見えますね。

他にかの徒然草の巻と、それを納めた箱など、大変なラインアップでした。
元の箱が傷まないよう、後世さらに箱ごと収める大箱が作られたりしたのです。
現代の日本にも外箱も大切に思うセンスは受け継がれていますよね(^^♪

この展覧会はいくつかのテーマに分かれていて、箱以外にも、たとえば
制作時から姿を変えてしまったものを、元々の姿を思い浮かべられるようにした展示。


右は元は絵巻。左は元々は着物。いずれも今は掛け軸になっています。
絵巻は、持ち主が切り売りしてしまった場合が多いそうです。着物の場合は傷みに少ない綺麗なところだけを軸で飾れるようにしたのではないでしょうか。
どうやら左身頃の背側を切り取ったようですね。


江戸時代(17世紀)の「舞踊図」
元は六曲の屏風だったものを舞人ひとりずつに分けて額装されています。江戸初期のファッションがよく分かります。退色していない時は華々しい色調だったことでしょうね。

「よく見ないと分からない」という展示も。
さてこれは?


身分の高い武家婦人の夏の装いだった「腰巻」です。


一面の宝尽くし。じっと見ますと、当然ながらすべて手仕事の刺繍。一面にぎっしりと。


気が遠くなるような仕事ぶりです。

「腰巻姿」は現代ではほぼ見ることがないので、参考例を2点紹介します。


織田信長の妹であるお市の方


黒沢明監督の「隠し砦の三悪人」の一場面より
小袖の上に重ね着した腰巻を上半身だけ脱ぎ落してある着付けで、袖部分が腰の左右に張り出して、立ち姿が豪華になります。

「ざわつく日本美術」展は8月29日(日曜)までサントリー美術館(六本木)にて。
めったにない展示です。ぜひどうぞ<(_ _)>

展覧会ルポ | 04:54 PM | comments (x) | trackback (x)

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