東京手描き友禅 模様のお話

 
東京手描友禅、模様の参考に、友禅染の柄行きに重い軽いという言い方をする意味は?

振袖の柄行きのお話が前回のブログでした。
全身に均等に模様があるより、模様の多い所と少ない所を作った方が、友禅染の振袖や訪問着は綺麗に見えるというお話でした。
上前の左胸や膝の辺りで模様を多くすると友禅染が綺麗に見えることは「様式美」となっていて、礼装の着物をデザインする時の原則のようになっているのでした。
本日はその続きです。


こちらはぼかし屋の訪問着。
全体に紅葉が流れていますが、紅葉の配置は原則通りです。

姉様畳みで着装した場合の様子を想像しやすくした写真。


下前(右胸)には紅葉はありません。地色も衿を境に左右の胸で違う色(ピンクとベージュ)が向かい合うような配色です。


手描き友禅の誂え染めで柄行きを決める時、模様が多い部分を指して「柄が重い」といいます。他にも「この辺の模様を重くしよう」などと言います。「少し重すぎるから、野暮にならないように軽くした方がいい」とか。
どの辺りに紅葉を多くして、柄を重くするかは本来は自由で決まりがある訳ではないのですが、やはり様式美を意識して友禅模様の軽重を考えると綺麗に落ち着くのです。


裾模様。褄下の線を境に、写真右側が上前(着た時に前膝辺りにくる部分)左側は下前(上前の下に入り込む部分。歩くと見える)。
やはり模様の重いポイントや地色が左右で重ならないよう互い違いになっています。
振袖や訪問着といった手描き友禅の着物は、衣桁に飾れば日本画のように、着ると模様に軽重のある粋さが求められていると考えております。
理想ですね!
柄行きを考えている時に原則に戻って手直ししてスパッとはまると、伝統には勝てないなと思います。
(^^;)

東京手描き友禅 模様のお話 | 05:35 PM | comments (x) | trackback (x)
このところ訪問着のための蘭の模様の図案を描いています。
全体に蘭の濃淡と、地色も淡いグリーンからクリーム色の濃淡にする予定。



なかなかに苦戦しています(^^;)
何をと言って、蘭の形が決まらない…
昨日、ヨシ!と思っても、今日、ダメだ…を繰り返しておりまして。


一度決めた姿を調整しています。


調整につぐ調整で、頭の中の完成図がグラつきます。(T_T)


少しずつ良くなっていると思いたい日々です。

関東はまだ暑さが残るものの、空気がカラッとして、しのぎやすくなりました。
引き染めに向いた季節がやってきます。
急がないと。

東京手描き友禅 模様のお話 | 10:33 PM | comments (x) | trackback (x)
前年度後半にNHK BS放送が懐かしの刑事コロンボの人気投票上位20を下位から順に土曜日に放送を続け、一番好きな「別れのワイン」が3月の最後、つまり第一位として放送されました。
過去数回見ていますが、今回初めて気づいたことがあり、テレビ画像をお借りして紹介させていただきます。

それは各場面に「赤」が「挿し色」として使われていること。

挿し色とは画面にアクセントとして使われる色で、絵画にも映画にも、織物や友禅染にもあります。
日本映画の小津安二郎監督が赤を好んで挿したそうです。この「別れのワイン」にも赤が、疑惑や緊張感を高める効果で使われているのです。
(写真では全体に朱赤になってしまいましたが、テレビ画像では真っ赤や重々しい赤ワイン色)


犯罪の舞台となったロスアンゼルスのワイナリー

ドラマは赤ワインの乾杯シーンから始まります。



左がエイドリアン・カッシーニ
高級ワイナリーの責任者で世界有数のワインの目利き。
愛蔵の赤ワインでお客様をもてなしている。
私室に戻ったところ、仲の悪い異母弟が入り込んでいる。
実はワイナリーは弟の名義。弟は実務は行わずに利益だけ持っていき派手な生活。


多額の現金目当てにワイナリー売却を決定したと、いきなり告げられエイドリアンは激高。手近な置物で弟を殴り気絶させてしまう。

ニューヨークへの出張予定があることを利用し、エアコンを切ったワイン貯蔵庫に閉じ込めて留守中に窒息させればアリバイを作れると思いつく。彼は気絶している弟を貯蔵庫に放り込む。
貯蔵庫に鍵をかけ、ヤレヤレと思った彼は弟が乗ってきた真っ赤な車に気付く。
(結局この車がコロンボを彼のもとへ引き寄せることになる)




彼のネクタイは赤ワイン色。

自分の車庫に隠すと

素知らぬ顔で予定通りニューヨークへ出発。

飛行機内の様子。


座席で隣の秘書に弟あての手紙や送金を指示し犯罪偽装する。
静かな機内の場面で秘書がメモのため赤い鉛筆を走らせる。
鉛筆の赤色だけが忙しげに動く。
(この秘書は後で事実に気付き、彼を脅して結婚を迫る)

ニューヨークのオークション会場。
彼がいかに目利きか、そしてことワインに関しては浪費もしてきたと伝わる場面。


帰宅後、彼は弟の車にあったダイビングウエアを遺体に着せ、車に乗せて海に運ぶ。遺体は海に落とし車は海岸に放置する。


ダイブ中の事故に見せかけるために。

さてコロンボの登場。


カッコイイ車を羨ましがる若い警官の言葉から、
車は海岸に置かれたばかりだと気付く。
推定死亡は何日も前なのに。

コロンボが遺族としてのエイドリアンに会いにくる。


ストーリーはすべて赤ワインと共に進む。


エイドリアンはコロンボが遺族に会いに来たのではないと気付く。

コロンボはワイナリーの様子を調べる。


彼の友人たちに聞き合せをする。



(コロンボが忙しく移動中だと現す場面。
赤のために落ち着かない雰囲気。通行人の服まで赤)

彼がどんどん追いつめられる緊張が漂う画面が続く。


状況から彼が犯人と確信したコロンボだが証拠がない。

彼のニューヨーク滞在中(ワイン貯蔵後のエアコンが切れていた間)、ロスアンゼルスが季節外れの高温に見舞われていたことに気付いたコロンボは、彼を高級レストランに招待する。


出かける彼と秘書。夕暮れの灰色の中に秘書の服の裾の赤が際立つ。

コロンボはソムリエの協力を得てエイドリアンの貯蔵後から持ち出した高級ワインを、素知らぬ顔でふるまう。

(後ろの席には真っ赤な服の人が、ソムリエの盆には重厚な赤色が)

高温のためワインの風味がすでに損なわれていると見抜いた彼は、
同時に自分の貯蔵庫のすべてがダメになってしまったことを悟る。

(テレビ画像では彼の手元の瓶の口も鮮やかな赤)

自分に対する怒りに任せて、ワインを海に破棄しているところにコロンボがやってくる。

ワイン瓶の赤が効果的。車のテールランプの暗い赤と合わせて、まさしく挿し色

彼はワイン初心者だったコロンボがワインの温度変化などの勉強を重ねて犯罪の自供に追い込んだことを称賛、コロンボは自分の運転で彼を連行する途中、最高級のデザートワインをエイドリアンに贈り乾杯する。


ここで初めて赤が一切無い画像となる。 ワインも
観ている側の緊張がホッと解けてドラマが終わる。

この作品はコロンボシリーズ人気投票で、2位を引き離しての1位だったそうです。
シリーズには珍しく衝動殺人であること、犯人とコロンボが互いを尊敬しあう点が人気の秘密と思っていましたが、今回は映像そのものもストーリーを引き立てているのだと気付きました。撮影する時に効果を考え、色調の方針を立てて作品を作るのでしょうね。名作は何度見ても面白いです。


犯人エイドリアン役はドナルド・プレザンス、映画「大脱走」で主要登場人物の一人を演じた名優。私がリアルタイムで知っている刑事コロンボの方も、すでに時代劇になってしまいました。
挿し色についてはこれからも機会を作って、着物や和物の場合でご紹介したいと思います。


東京手描き友禅 模様のお話 | 01:55 PM | comments (x) | trackback (x)
着物の染めや柄行きを話題にする時使う言葉の中に
片身替わり(かたみがわり)という言葉があります。
片身とは見頃の右半分、左半分のこと。着物の場合、着た時に衿や胸の色合いが左右で違うことを片身替わりと呼ぶのです。
左右の違いでおしゃれの効果を上げて楽しむための意匠です。
たとえば、

この蘭の訪問着は、全体にグレーとピンクの地色で染め分け、着ると左右の胸と衿で2色が交差するように染められています。


着用するとグレーの方が多く表に出て、ピンク地と華やかな蘭を落ち着かせます。
このように一方を強く華やかに、もう一方は抑え役で片身替わりに合わせることが多いようです。
この片身替わりの意匠は室町時代後半から増えたとか。それ以前にも前例があり、重ね着した袿(うちき)を一方の肩だけ外して下の小袖をわざと見せる着方があったのです。
そういうファッションの歴史の中に片身替わりもあるのですね。


こちらは戦国大名、北条氏康の肖像で、小田原の早雲寺所蔵の原本を昭和初期に模写したもの。狩衣の中の小袖の衿をご覧ください。


片や緑の格子、反対は焦げ茶の無地です。正面から見ると両方が目に入り、両衿が緑の格子であるよりもはるかにお洒落に見えたことでしょう。

この時代以降、江戸初期まで着物は男女問わずに一番華やかな時代に入ります。


こちらはNHK大河ドラマ、伊達政宗の晩年、江戸初期に入ってからの場面です。
俳優さんの衣裳は金茶と濃い海老茶の片身替りの羽織。この場合、後ろから見ると背中心を境にくっきり色が替わる強い対比になっているはずです。再放送で見た時に とても素敵でこの時代をよく写しているので保存していた画像です。
伊達政宗はお洒落の代名詞でもありますね。

片身替わりは着物の特許ではなく、身の回りの和風の物には沢山みられます。

こちらは古い陶器(上野国立博物館の常設展示より)

片身替 釉 水差し(江戸時代)
わび茶の道具なので地味ですが片身替わりのおかげでオシャレ。


織部 洲浜型 手鉢(1600年頃)
洲浜の形の鉢に手提げをつけたもの。


鉢の半分だけにどっぷりと緑釉をかけてあるのです。

実はごく最近購入した小樽のガラス食器も片身替わり!(^^)!


右半分がブルー、左半分はピンクで、とっても身近な片身替わりです。

左右まったく違うけれど、全体として見た時にバランスよい色合い、模様の量が目に入る
という片身替わりは日本の独自性が高い意匠だと思っています。西洋やアラビアなどの文化では左右対称が基本。
左右の衿が違う色、お皿の半分が違う色、面白いですね。

仁阿弥道八の桜楓文鉢(江戸時代)


地色の違いはありませんが、模様が左右でまったく対照的。
春の桜に秋の楓。これも片身替わり応用編ですね。
友禅染でもぜひ真似して、まねびたい柄行きです。
桜と楓、左右をどちらに当てるとよいでしょうか。想像すると楽しいです。着物の場合、上前となる左胸側に来る色、模様が主人公になります。

東京手描き友禅 模様のお話 | 03:05 PM | comments (x) | trackback (x)
 タイトルで七宝焼と手描友禅を並べたのは、七宝焼は「焼物界の友禅染」だからです。
もちろん!まったくの個人的意見なのですが。(^-^;
 共通点は模様を描き出すのに「境目をつけて色が混じらないようにする」こと。

 ご存じのように手描友禅は下絵の上を細く絞り出した糊でなぞり、糊を堤防にして染料が混じらないように模様を描きます。

ぼかし屋の作業風景より。(線状の糸目糊が見えています)

最後に水洗いすると、落ちた糊の跡が白くなり糸目のように見えることから糸目友禅とも呼ばれるのです。

 一方の七宝焼。(写真は七宝の産地、愛知県あま市のHPより)
 皿や壺の形(多くは銅製)に描いた下絵に、細いリボン状の金属線を植え付けて


 隣り合う色釉薬が混じらないように筆で色置きしていくそうです。

 こちらは七宝焼の絵皿。

ね、素材は違いますが友禅染の仲間でしょう。昔一目ぼれして買いました。
釉薬の境目になっている金属線がまるで糸目のようです。

 さて、この七宝焼の展覧会が東京都庭園美術館で開かれています。

  並河靖之 七宝展 4/9まで。

 並河靖之はいわゆる明治の超絶技巧を紹介する展覧会や番組でも必ず取り上げられる七宝作家です。ただしご本人がすべて制作したのではなく、優れたデザイナーでありプロデューサー、メーカーだったとか。

  蝶に竹花図 四方 花瓶 高さ24㎝

一番見たかった作品。(写真は図録から)
ゆるやかな四角柱の花瓶。角を利用して竹を描き立体感があります。
花丸唐草文 棗(なつめ) 高さ6.4㎝
 花丸は友禅染で好まれる模様。まるで黒地花丸模様の振袖を凝縮したようです。

江戸以来の職人が新しい工芸制作に流入した時代なので、本当に友禅の下絵職人がこの棗の下絵を描いたという想像もできます。ちなみに並河靖之ご本人も、もとは武士だったそうです。


桐の花の下絵 下絵自体が美しいです。

花桐蝶文 大花瓶 高さ30㎝ こちらは大きな花瓶ですが、

草花図 小花瓶 高さ10㎝
 このように小さな花瓶もたくさん展示されていました。七宝はアクセサリーにも使われるくらいなので、本来小さな作品に向いているのでしょう。

 小さいと言えばこちらの作品

  四季 花鳥図 名刺入 高さ9センチ
 金属線で堤防が仕切られているからこそ、このような細かい表現ができるとも言えますが、この精密さは時計職人の技術ですね!!

 製品としての高さが9㎝なので、この写真の図柄の縦サイズは3センチくらいだと思われます。      

     名刺入れの下絵

 四季 花鳥図 花瓶 高さ35センチ
 
黒地を得意とした並河七宝の集大成のような作品だそうです。

黒地に金色の線で描いた図があでやか。このまま着物の模様のお手本になりそうです。


 竹笹の奥行感が濃淡で表現されています。背景の黒が冴えていました。
 
 花鳥図 飾り壺 高さ23㎝

 こちらも濃淡を使い淡い色の桜から濃い紅の桜まで。きっちり色分けされていました。
下の方に描かれた黄色い菊が実に美しく印象的でした。


 解説には、明治時代に外貨獲得のために振興された国産の工芸品の一つとして並河七宝は大いに評価されたものの大正期にはいると輸出量が落ち始め、国内市場は育たないまま、並河靖之も1927年には工場を閉めた、とあります。
 陶磁器であれば高級品は僅かしか売れなくとも、廉価な日常品が大量に売れることで産業を下支えしますが、七宝はそれ自体が高級品ですから、需要が一巡した後は弱かったのかもしれません。今は美しいアクセサリーを多く見かけますね。


東京手描き友禅 模様のお話 | 06:24 PM | comments (x) | trackback (x)
 8月13日の朝日新聞紙面に、ブリュッセルで開かれた花の祭典「フラワーカーペット」が紹介されていました。本物の花を敷き詰めて作る巨大なカーペットで,
街の広場を覆うイベントで、世界中から多くの観光客が訪れると聞いています。
日本とベルギーの外交樹立150周年を記念して、今年のテーマは日本




 日本をイメージするにも富士山とか歌舞伎とか色々あると思いますが、カーペットであるためか、嬉しいことに「和の文様」でデザインされているのです。
しかも地紋のある生地に模様をあしらう友禅や刺繍の着物を彷彿とさせるので、嬉しくなってしまいブログで紹介することにしました。
 拡大しますと、




 外枠を紺地の七宝文様で取り巻き、海老茶の枠に七宝文と二重菱を配置し、内側はクリーム色の地に一面の地紋が籠目と青海波。その上に桜、竹、松、波を描き、中央に鯉や鶴、菊も見えます。



ほぼすべて日本の伝統文様です。すてきですね~~!

 伝統文様とは、「このように描いたら松とする」というような、一定の引き継がれた約束事の上にデザインされた文様の事と考えています。扇形の半円を繰り返して波とする青海波はその代表例。着物や食器、家具などに日本人が描いて、大陸文化の影響を受けながら練り上げてきた文様です。
 はるかベルギーの古い町並みの広場に、このような花のカーペットを作り上げてくださった方々に感謝、感謝です。
 このイベントは2年に一度開かれて、その時の記念すべき事柄をテーマにしているそうです。ちなみに前回2014年はトルコからの移民受け入れ50周年を記念してトルコの図柄だったそうです。
 ブリュッセル市のHPから前回の写真を2枚拝借。



 制作中の画像もありました。大勢の手で花を敷き詰めていくのですね。



 だいぶ以前にテレビで、このイベント用の花を栽培する農家が取り上げられていました。希望に沿う色の花を必要な分に足りるように、一家総出で栽培していましたっけ。

 ブリュッセルで行われるこれほどのイベントなのですから、日本がテーマになったと、もっとメディアが取り上げるべきではないかと思いますが、この時期テレビはオリンピック報道一色でした。残念…


東京手描き友禅 模様のお話 | 10:03 PM | comments (x) | trackback (x)
東京国立博物館の所蔵品展示で 古い友禅染の作例をいくつか観ることができました。

 特に驚いたのがこちら。






  産着  納戸綸子地 宝尽くし模様

 伊達家の殿様、伊達吉村の所用だそうです。かの伊達政宗の曾孫で1680年生まれ。若様の産着がお古とは思えませんから、もしかすると制作時期がはっきりしている一番古い友禅染ではないでしょうか。
 身分の高い武士階級やお公家さんの着衣の模様は、江戸小紋等を別にして、主に織りか刺繍だったのですが、子供用には、洗えて肌触りの柔らかい友禅染めも使われたのですね。


 紐の先まで宝尽くしが散っています。贅沢な地紋に五つ紋付きでした。
江戸時代前期としてはかなり細かい友禅染だと思います。
 
この展示は着物のコーナーではなく、武士の鎧や小袖、武具を飾るコーナーにあり、隣は幼児用の可愛い陣羽織でした。

江戸時代、町人階級は贅沢な織りや刺繍を制限されていたので、友禅染はおもに町方の富裕層のファッションニーズに応える形で発達しました。



振袖 薄紅平絹地 薊菊模様
この振袖は1700年代の江戸中期のもの。

解説に「浅葱色に染めた州浜形の内に、簡略化された薊と菊を糊置きし、墨色や藍色で地味に彩色した、いわゆる光琳模様」とあります。
ここで言う「糊置き」とは、細く絞り出した糊(糸目糊)で下絵をなぞり描きした、という意味です。糸目糊で防染してから染料で彩色すると糊のあとが白く糸目のように残るのが友禅染。この作品は糸目がくっきりを白く浮き上がって見えていていますね。


どんな商家のお嬢さんが着たのでしょう。



 間着(あいぎ) 紅綸子地 牡丹青海波網模様

 こちらも1700年代のもの。間着は打掛の下に着る小袖だそうです。
模様はすべて鹿の子絞り。 たいへん贅沢ですが、上にさらに打掛を羽織ったのですね。

 江戸時代の友禅の話題ついでに、最後にNHKテレビの映像から。
前回の朝の連続ドラマは、最初のころの舞台は幕末期で、
京大阪の大商人の娘さんが主人公でした。
どんなにお金持ちでも町方ですから、織や刺繍は制限されており、着物は主に染めの模様なのです。
ドラマ撮影用とはいえ、毎回素晴らしい友禅染衣装が見られました。



 主人公の袂に偶然鉄砲が飛び込むというシーン。

着物はもちろんですが、裏側の比翼も細かい友禅。帯も染めの模様です。
衣装を楽しめる番組でした。

東京手描き友禅 模様のお話 | 11:17 PM | comments (x) | trackback (x)
 手描き友禅の柄行き、模様を作図する時には色々な参考資料も使います。他の工芸品の文様や柄行き、季節の花々、琳派や狩野派の障屏画の写真などが主なところです。ですから作業部屋の本棚には本がいっぱい。
 先日そこに新たな戦力が加わりました。
 「日本の意匠 全16巻」 です。
 5年前に他界なさった師匠、伝統工芸士の早坂優先生の奥様が、長く工房で使われていた一揃いを下さったのです。
何度も何度もお借りして図案作りの参考にした本なので、大変有難いことです。

 貴重な本ですから、ずらりと並べて記念写真。




 手前右の表紙の図柄をご覧ください。
今年の染芸展の友禅体験にお越し下さった方は、あらっとお思いになるのでは?
(御所)車に流水の図です。友禅体験で使われた車の模様のモトとなる意匠です。



片輪車蒔絵螺鈿手箱 

国宝で平安時代の塗り物です。
牛車の車輪は乾燥すると割れてしまうので、川に車輪を浸しておく風景は平安時代の都の風物だったはず、とのこと。

 この全集は1985年、京都書院の発行。これだけの全集を組むことが出来たのは世の中が好景気で、伝統工芸産業全体がまだまだ元気だった時代だからでしょう。
今改めて見ても内容は充実しています。
 たとえば、桜の巻のページには



 刀の鍔の細かい細工や、陶磁器の模様まで写真が載っています。



陶磁器の模様もたくさん掲載されています。

 まさしく着物の模様の参考書!!

 動物の巻には面白い打掛が!


お猿さんの柄です。


 打掛ですから身分の高い人が着たはず。
でもこんな愉快な柄行きを楽しんだのですね。驚きます。

 紅葉の巻には仁阿弥道八の「桜楓文鉢」も載っています。
                  (右ページは桜の花筏文様の水指し)



 この作品の特徴である内側ビッシリの文様がよく写っています。


普通の美術書ではこんな角度から写したりせず、もっと写真の構図として格好良く、器の横から写すはず。おそらくこの本が伝統工芸に携わる人向けの編集であることから、
上から覗き込むような目線で写してくれたのでしょう。
「ほら、こんな図案ですよ」と。

同じく紅葉の巻には何度も見た懐かしい図が。


檜垣に楓散らし文様の能衣装 (江戸時代、岡山美術館所蔵)


この紅葉の色合いが自由で楽しく、
実際にはない色取りなのに模様になると不思議にリアル…
この図には結構影響を受けていると自覚しています。



ぼかし屋の訪問着の作例から。
織や刺繍の能衣装と違い、友禅の方は柔らかい印象です。
でも、要点は同じ(つもり)です。

貴重な全集!師匠ご夫妻に感謝<m(__)m>
大切に、しっかり利用していきたいと思います。


東京手描き友禅 模様のお話 | 12:22 PM | comments (x) | trackback (x)
 工芸職人の地位・桜紋様の拳銃を見て

 NHKに歴史ヒストリアという番組があります。
先日「桜田門外の変の主犯は水戸斉昭!」という内容で放送されていました。

 何でも最近アメリカで発見された古い拳銃が、その箱書きや諸状況から井伊直弼の命を奪った銃だと分かったそうです。井伊直弼はまず発砲で致命傷を受け、動けなくなったところを刀で止めを刺されたことも水戸家に残る検案書などから分かっているそうです。

 それがこの銃。


              (写真は番組映像から)

 番組では、この拳銃はペリーが幕府に献上したものを模倣して、
日本で製造された国産品だと紹介していました。




上がペリーの銃の図。アメリカ製の51ネイビーという銃だそうです。
下が直弼を撃った銃。
確かに寸分違いません。模倣元はいかにもアメリカ西部劇に出てきそうですが、
日本国産の方は何とも言えず和風です。

 ベリーの拳銃は10丁ほどしかなく、それを手に入れて、「同じ物を作れ」と命じることができたのは、かつ井伊直弼を暗殺する動機があったのは、水戸斉昭。
彼こそ桜田門外の変の主犯だと、番組では論じていました。
 歴女である私は、へえ!そうなんですか!と面白く観ました。


 でも皆様に紹介したいと思ったのは、
別の観点から見たこの銃です。

銃身に一面に桜が彫り込まれています。
和風に見えるのは、鋼鉄全体が漆のように黒いことと、この桜紋様のためでしょう。
まるで漆塗りのようなイメージです。





 モデルであるペリーの銃には彫り物などありませんから、これは製作者の考えで彫られたのです。「模倣せよ」と命じられて、機能を模倣したのに加えて、それ以上に美しい物を作り上げたということです。
「モノづくり日本」という言葉は好きではないのですが、思わず頭をよぎりました。
 解説者によれば、強烈な尊王攘夷派だった水戸斉昭のために、天皇をイメージさせる吉野の桜を彫ったのではないかということです。
注文主である斉昭は喜んだことでしょう。そしてこの銃を実行犯になる藩士に渡して暗殺を命じた、と考えられるそうです。

 もうひとつ、モノを作る側にとって一番重要なのは、
銃身に実際の製作者の氏名が彫ってあるということです。


   これは鉄砲鍛冶の名前


これは桜紋様を彫った職人の名前

これには本当に驚きました。
 いわゆる職人の社会的地位は江戸時代には低く、刀工のような特別な工芸職人をのぞけば、工芸品を作った職人の名前が残ることはなかったのです。刀の鍔(つば)や鞘(さや)も立派な工芸品なのに、名刀の銘で残るのは刀工だけ。
 尾形光琳のように絵師は芸術家として名前を作品に残せましたが、着物を染めても刺繍をしても名前を作品に残すことはありませんでした。


 中世の陶工はすべて無名。芸術家を自認して作品に自分の名をいれた初期の陶工である野々村仁清。彼以降でも献上品を作るときは、はばかって名前を入れなかったり、入れた名前を隠したりということがあったと聞いています。漆芸でも同じ。
 比べてこの銃は、水戸斉昭という将軍に準じる身分の人に納めるにあたり、
製作者たちは堂々と名前を残しているのです。嬉しいですね~。
幕末は商人の力が台頭したとは歴史で習うところですが、
職人の地位も上がってきたのでしょうか。


 明治期になると、美術工芸品を輸出して外貨を稼ぐという日本の国策に後押しされて、工芸職人の地位は上がっていきました。
 不肖ぼかし屋でも誂え染めの着物が出来上がると、最後に下前の裾に落款をおしたりサインを入れたりします。
 この習慣はいつ頃からか分かりませんが、大正、昭和になってからだと思います。日本画の画家が落款を入れることに影響されて、誂えの着物に落款が入るようになったのです。

 江戸時代はどんな立派な打掛、小袖でも、能衣装でも製作者はみな無名。せいぜい納品した呉服屋さんや織元さん、つまり職人に作らせた人、の名前が分かったりするくらいです。
 博物館で立派な刺繍の打掛などを観ると「こんな細かい仕事したのはどんな人だろう」などと考えます。毎日毎日黙々と針を動かし続けたのでしょうね。名前は残らずとも、作品が今日に残りましたよ、とガラス越しに語りかけます。

東京手描き友禅 模様のお話 | 09:01 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描友禅 模様の参考に― 絵羽模様

 着物の模様が、縫い目を境に途切れたりせずに、縫い目を越えて連続していることを
「絵羽模様」といいます。ぼかし屋の作品からひとつ例を挙げますと、


 物語模様の訪問着

 衽(おくみ)と前身頃、さらに後身頃の間の縫い目を越えて模様が連続しています。
友禅の中でも東京手描き友禅は一点物の誂えが得意なので、お客様のサイズに合わせて白生地をいったん仮縫い(仮絵羽仕立て)してから下絵を描きますから、このように模様を連続させることができます。
 型染友禅の場合も、模様がつながるように型を配置するのは手間がかかることです。
 さて!
 先日NHKで再放送された京都迎賓館を紹介する番組で大変珍しい絵羽模様が紹介されていました。まずはこの写真をご覧ください。


 
   何だかお分かりになりますか。



 木目が絵羽模様になった障子の枠です。
一本の木から切り出した一枚板の木目を生かして切り分け、障子の枠に使ったのです。
驚きます!このような凝った作りは他で見たことがありません。


 この障子のあるお座敷の様子です。



 長く大きな座卓と座椅子の向こう、縁の廊下との間に障子があり、その枠の木目が絵羽模様になるよう気を使って制作されたわけです。障子を開け放った時に木目の美しさが絵羽で楽しめるように制作されたのです。なんという手間と技術でしょうか。

 東京赤坂に昔からあるフランス式の迎賓館に対して、純和風の伝統を生かした接待をするために作られたのが京都迎賓館だそうです。外国からの賓客に出されるお料理も京都の有名料亭が回り持ちで引き受ける和食だとか。それにふさわしい建築であるために細かい所までこだわって設計され各分野の和風伝統技術が集められたとか。見学の機会はないでしょうからこの番組は貴重です。

 建物については他にも様々なこだわりが紹介されていましたが、ここでは省略します。
ただ一点ご紹介したいのは番組のナビゲーターとして登場なさった女優さんの着物姿が素晴らしかったことです。



 どなたもご存じのお二方が日本建築の専門家から説明を受けているところです。
 番組の主役は迎賓館の美であってご自分たちではないこと、ただし最高の日本建築という場にふさわしい脇役でありたいと意識なさってお誂えになった着物だと思われます。
 色無地と見間違うほどですが、お二人をよく見るとご年齢に合わせてお母様は裾に、お嬢様の方は胸元と背にも大変控え目に模様が配置され、格調高い雰囲気になっていました。模様は刺繍か染めか判然としませんが、古典的な綺麗な色合いの付け下げですね! 着物に詳しいお洒落な方ならでのお二人のプライドを感じる身仕舞いで、この番組の趣旨に大変良く合っておられると思いました。
感服、感服。

東京手描き友禅 模様のお話 | 04:23 PM | comments (x) | trackback (x)

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