展覧会ルポ

 
東京手描友禅 模様の参考に

 表参道にある根津美術館で「燕子花図と藤花図」の展覧会を見てきました。
主な展示は応挙の藤花図と光琳の燕子花図。
美術館の所蔵品の中からこの二点を並べて鑑賞する趣向です。



 今回はこの二点についてのコメントは遠慮するとしまして、この2点以上に収穫だったのは!
私の大好きな画家、鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」です。この作品を観るのは初めて。向かって右が夏、左が秋の渓流図で、特に夏図が印象的でした。(写真は図録より)


   鈴木其一「夏秋渓流図屏風」  夏図(右)


                  秋図(左)

 夏図はかなり写実的な大木に、実際より大きく描いた山百合と竹笹を配置しています。会場の解説にもありましたが木と百合の写実性に比べ竹笹が極端に単純化されています。


    (夏図の中央を拡大)

 そのために屏風全体を観ると、より木と百合の写実性が増す効果があるとのこと。眺めていると確かにそう感じられます。画面が生き生きしています。
友禅の模様を彩色する時も、何もかも細かくぼかして染めるより、四分の1位は塗り切りの部分も作っておく方がぼかしの部分が引き立ちます。
(これは別にぼかし屋オリジナルではありませんが)
 なるほど、模様を形作る時も、写実的な部分に対して、デフォルメや単純化の部分をバランスよく配置すると面白いのですね!其一先生!

 他に大いに参考になると思ったのが、



  「四季草花図屏風」「伊年」印

 全部で68種もの草花が描かれていてまるで友禅の作図のお手本のようでした。それに描かれた植物の一覧を図録に載せてくれているので「花の描き方教本 琳派版」といったところです。
 ちなみに「伊年」とは俵屋宗達から始まった俵屋のブランド名の一つだそうです。

 今回の展示でもうひとつ模様のヒントにしたいのは、



  「色絵紫陽花図角皿」 尾形乾山

 紫陽花の花と手前の柵が縮尺を気にせずに描かれています。紫陽花の花が好きなので是非次回はこんな可愛らしい模様で描いてみたいものです。乾山のように、というのもおこがましいですが。
 最後は花の盛りの^根津美術館の庭の写真です。
あいにく携帯電話のカメラで画質が悪いのですがご容赦を。







お庭も燕子花と藤の盛りでした。
展覧会ルポ | 10:23 AM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅、模様の参考に

 芸大コレクション展を観ました。春の訪れとともに観たい展覧会がいくつか始まりました。昨年秋のシーズンは是非と思う展覧会を見逃しているので、この春は時間を作って出かけたいと思っています。
 東京芸術大学の美術館では定期的に所蔵品を展示してくれています。
 今回目指した展示は尾形光琳の「槇楓図屏風」。
 同時に特別展示として「観音の里の祈りとくらし展」が開かれていました。



ポスターの上半分が所蔵品展示の「槇楓図」、下半分は観音様の特別展の方の案内です。

 琵琶湖のほとり、昔の近江の国、長浜には村々の寺に数多くの観音立像が伝えられているそうです。織田、豊臣時代には地中に埋められたりして繰り返された戦乱から守られた観音様も多いとか。ポスターの千手観音(日吉神社蔵 重要文化剤)は火災から逃れ川に沈められた際に手を失くしてしまわれたそうです。その後は現在に至るまで地域の手で宗派を超えて大切に守られてきたという説明もありました。
 帰宅してから「槇楓図屏風」を再度みるため、久しぶりに日本美術全集「琳派」を引っ張り出してみました。
 そして今になって気づいて驚いたことが!
 画質のことです。
 美術全集は35年程前の出版です。新刊は高価過ぎるので興味ある刊だけでも、と古本屋を巡り中古で一冊ずつ買い揃えたものです。当時最高の技術で印刷されたはずですが…、
今見ると何とも平板で色も暗く冴えないのです。
 下は全集のページを撮影したものです。



 それに対して今回の展覧会の案内チラシを拡大しますと、



 明らかに!昔の美術全集より、チラシでさえ今のデジタル印刷技術の方が、画質が良いのです。
 今まであまり気付きませんでしたが、今回実物を観た直後の目で見ると…
全集のページをめくった瞬間に
「え!何?この画質は。何も写ってない!」と思ってしまいました。
 これがデジタルとアナログの差でしょうか。ハイビジョンテレビを見慣れると以前のVHSビデオは観る気がしなくなりますが、同じ事のようです。
 美術全集の方は背景の金箔があまり写らず絵具の色も平板です。チラシの方は金箔が隅々まで明るく写り、特に葉の緑の陰影が細かくきれいです。こんなに差があるのですね!
  と、光琳とは無関係の事を先に書いてしまいましたが、美術全集のよいところは体系的に作品について教えてくれること。
 全集によれば、この「槇楓図屏風」は俵屋宗達も同じ題材を描いているのですね。


槇楓図 伝・俵屋宗達 山種美術館蔵

 そっくりなので年代的には当然宗達が先に制作。宗達に私淑していた光琳がそれを参考に後から描いたわけです。光琳は宗達の画風を学ぶために多くの模写を行ったとそうです。
 意外なことに光琳の方が渋い感じがします。槇の木の足元に宗達は桔梗女郎花といった秋草を華やかに描いているのに対し光琳は竜胆や桔梗を主体にあっさり描いています。枝や葉も光琳の方がより無駄を省きスッキリしている感じなのは宗達の作を推敲して描いたからでしょうか。
 背景は金箔で張りつくされていますが、秋草桔梗があることで木々が宙に浮かず、根本の地面の存在を感じられます。
 この「槇楓図屏風」はつくづく観ると愉快な感じがします。槇の木が直立と湾曲したものが混在し、さらに「この辺りに赤い色があったらいいな」と思う辺りにまず楓の葉をもってきて、そこに楓の木、枝を置いた感じ。特に光琳の方は「画面の下方に青色があると引き締まるから青のために桔梗と竜胆を増やそう」と光琳が思ったような気が…。 当方の勝手な想像ですが。
  宗達に同じ図柄があることなどを見比べられるのは全集ならではです。
出版不況下、充実した美術全集の新たな発行は難しいでしょう。画質が不満でも今あるものを大切にしなくては。苦労して揃えたことですし!もっともいつか本ではなくデジタル映像のディスク版美術全集は発行されるかもしれませんね。

展覧会ルポ | 01:17 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描友禅 模様の参考に

 手描き友禅の模様作りの勉強にするのだからという名目を立てまして、年末に台北へ旅行しました。故宮博物院の見学と夜市を食べ歩きするのが目的でした。
 故宮博物院はさすがに素晴らしい展示でした。特に紀元前数千年の昔に作られた青銅器の数々が見事でした。
 中国といえば龍の文様です。
 青銅器にはもちろん多くの龍があしらわれていましたが、驚いたのは5000年前に作られた龍の頭部を文様化した玉石の飾りが変色もなく白く輝いていたことです。これほど昔に想像上の動物を高度にデザインする力があったのですね。敬服、敬服。玉石を磨いて造形する技術も忘れてはいけませんが。
写真で紹介したいところですが、全所蔵品の図録は高価で手が出ず、購入した抜粋版は玉器の掲載が少なく残念です。

 中国の文様でもう一つ重要なのが牡丹の花です。
 友禅染の模様として使われる頻度は一番でしょう。故宮でも絵画や工芸品に様々なデザインで登場していました。染物屋としてはこれを観なければ!
 図録から紹介します。



  明代の漆塗り花瓶(一部)

 日本でもおなじみの形に彫られた牡丹。花自体は左右対称ですが、葉は余白を埋めて自由に伸びています。



      清代の七宝焼き
 小さな可愛い壺で嗅ぎタバコ入れだそうです。牡丹の模様の物4点。左下の作例は日本でもよく見られる写実的な牡丹ですが、他3点は幾何学模様化されています。葉を唐草文にして左右対称、放射線状に広がる意匠で面白いですね。



 こちらも七宝焼きの器です。
 黄金色を背景に正面から左右対称で底から蓋まで色違いで模様が連続しています。模様としてはアラビアの王様に似つかわしい雰囲気ですね。ただ椀の形や蓋物であるところは、紛れもなく東アジア、私たち近辺の文化で親しみを感じます。



     清代の牡丹図
 長らく日本のお手本になってきた見慣れた牡丹図ですが、大変写実的で白い花は背を向けていたり、クタッとした葉があったり。美化せずに描いているあたりは日本画ではあまり見ないように思います。

 次は着物の模様とは無関係ですが、あまりに素晴らしかったので。



 ご老人が孫の手で背中を描き「う~、気持ちいいのう」と笑っている感じ。膝には子犬がじゃれています。
 清代の作。黄楊の木を彫った羅漢様で、なんと全長わずか2cmです!!!!
 展示室では作品の前にルーペがかざしてあり、覗いて拝見する羅漢様の笑顔がなんと気持ちよさそうなこと。それにもろ肌脱いだ上半身の骨格や生き生きとした筋肉の表現が優れていて後ろにそらした右腕などは本物のようでした。
 制作者の名前は残っていませんが、この作、ミケランジェロに勝っていると思います!

 長い歴史の中国なので観るものもたくさん。
最初は意外に面白かった青銅器文明を力を入れて見学。
玉器、彫り物、漆と続き、絵画を頑張り、書は足を引きずり、最後にまた唐以前に時代が戻って三彩など焼き物が始まった時には「中国にはまだこれがあったんだ~でも~もうダメだ」 
 それでも桃が一面が描かれた素晴らしく大きな景徳鎮の茶壺だけは、意地で何度も眺め、
「なぜ日本では桃の実は絵画の題材にならなかったのだろう。桃太郎のイメージが強過ぎるからかしら」などと思いつつ、故宮探訪を終えました。
丸一日かけましたが本当に全部は見られませんでした。
 今年は日本で故宮博物院展が開かれるそうです。

最後に飛行機の中からみた富士山の写真をご覧ください。
思いがけず綺麗に写せました。静岡上空、太平洋側からの富士です。


展覧会ルポ | 12:42 PM | comments (x) | trackback (x)
 東京手描友禅 模様の参考に。
 江戸東京博物館の常設展示室の企画展示 「幕末の江戸城大奥」を見てきました。着物制作の参考になる打掛や貝桶、雛道具など興味深い展示でした。
 展示品の多くは幕末大奥の主人公だった天璋院と和宮所用のものでした。
 天璋院は十三代将軍、徳川家定の夫人です。篤姫の名前でNHKの大河ドラマの主人公にもなりました。同時期に江戸城にいた天璋院と和宮(十四代将軍家茂の夫人)の確執はよくドラマに取り上げられますが、今回の展示にもそれを示す説明が含まれていました。
本当に天璋院と和宮はお互いの面目と格式をめぐっておおいに揉めたのですね。有名な茵の争いは、こんな茵(しとね 座布団)をめぐって争われたのだろうと思われる豪華な茵が飾ってありました。茵一枚あるなしや着座の順序や向きが一大事だったようです。

 着物の展示で特に印象的だったのは天璋院所用の小袖二点です。

  萌黄繻子地 雪持笹と御所車文様の小袖



 雪持笹とは積もった雪に笹が覆われている様子、雪にも負けずに笹がりんとしている様子だそうです。大変綺麗でぜひ作品に取り入れてみたいと思いました。ぼかし染めの白場が雪に見えるように図案を考えてみたいものです。

 もう一点よく似た小袖が展示されていました。

  萌黄縮緬地 雪持竹に雀文様の小袖



 笹が竹に変わっただけで雪持ちのモチーフは同じ。地色も萌黄色ですが、こちらの生地は繻子ではなく縮緬地です。しかも驚いたことにかなり斬新な地紋があるのです。
   拡大しますと、



 大きな蝶を組み合わせた大胆な地紋です。この時代の着物にこれほど目立つ地紋があるのは珍しいのではないでしょうか。前述の雪持笹小袖の方は繻子地なので地紋はありません。
 縮緬地に地紋を織りだす紋意匠は明治期にジャカード織り機を取り入れてからだと聞いていたので、幕末までは縮緬には地紋はないものと思っていたのですが、この小袖は違うようです。 
 展示の説明には「蝶と藤襷を織り出した紋縮緬地」とあります。このように華やかな地紋をジャガード機なしでどのように織り出したのか、帯を織るようにすべて手仕事で縮緬地にこれほどの地紋を織り出すとは恐ろしいほどの仕事量でしょう。あるいは輸入品の生地を染めて小袖に仕立てたのでしょうか。でもこの蝶と藤の意匠は日本風です。この時期の紋意匠縮緬はどのように生産されたのか、どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、当方ぼかし屋友禅のホームページ上の問い合わせメールを利用してお教えくださいませんか。

2015年 1/30 追記
文化学園服飾博物館「時代と生きる・日本伝統染織技術の継承と発展」の展示で勉強しましたので加筆いたします。説明によれば以下の通りです。
 日本の紋織り(地模様のある生地を織ること)の歴史は、すでに飛鳥時代に始まっているそうです。
渡来人の職業集団に「錦織部」(にしごりべ)があって紋様(模様)のある織物を作ったとか。束帯や直衣、唐衣などが主だったと思われますが、安土桃山期に明から優れた織機や織りの技術が伝来して、薄い絹物にも紋織が出来るようになっていったそうです。 
 大奥の女性は当時の最高級品を身に着けていたでしょうから、拝見した打掛類は幕末期の最高技術で織られた国産品の紋意匠の絹地だったようです。
 明治になってからジャカード機が輸入されて紋織が発達したのは、「量産化」できるようになったということで、江戸時代にも武家階級や富裕な商人層向けに紋織はあったのでした。紋意匠の白生地に友禅染めや刺繍を施した贅沢な小袖、打掛が今も残っているのは、そういうわけでした。

展覧会ルポ | 10:29 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅、模様の参考に。(宮廷服の礼装)

 東京手描き友禅は多くの場合、製作者自身が図案から色彩まで制作するので、図案創作の参考にするため日本画や工芸品など伝統的な模様に接する機会は逃さないようにしています。
 今年の秋は興味深い展覧会が多く忙しくなりました。幸いぼかし屋は都心から地下鉄で15分の所で、生地屋さんや材料屋さんなどの用事を足しながら展覧会場に寄ることが出来ます。
 今回は文化学園服飾博物館の「明治・大正・昭和戦前期の宮廷服」展に行ってきました。

(写真は図録より)


 昭和戦前期の、とある通り明治期以降、1945年の敗戦前までの服装令にのっとった宮中の礼装の実物を展示しています。ぜひ本物の十二単を見たいと思って出かけたのでしたが、予想に反して一番の収穫は「洋装のなかに見る日本の伝統模様」でした。

  明治天皇の皇后が着用した大礼服



 一生懸命に西洋文化を取り入れた鹿鳴館時代のものですから全体として見るとヨーロッパ風ですが、ビロード生地に刺繍された菊花の模様は日本の伝統的な様式そのものでした。
 赤地の菊がマントの部分、前出の写真の白地の菊がスカートの部分です。
 どちらもこのまま打掛に使えそうなのです。
 明治20年頃の制作とのことで、幕末まで大名や公家の家に着物類を納めていた呉服屋傘下の職人さん達が作ったのでしょう。外国の文化や技術を和風に取り込むことの得意な日本人の特徴がすでに見てとれるようでした。

  儀式以外の宮廷行事で着用されたドレス



 こちらもシルエットは完全に洋装ですが、生地は鳳凰と立湧(たてわく)を組み合わせた地紋です。着物の機屋さんが織ったものに違いありません。
 他にも男性用の大礼服の展示も多く、黒い礼服を飾る金糸の縫い取りが和風の菊や桐だったり、ボタンのデザインが刀の鍔(つば)のようだったり。色々なところに江戸時代に確立した日本の模様様式を見ることができました。

 前後しましたが、元々これが目的だった十二単ももちろん拝見しました。

      五衣・唐衣・裳(十二単)





 昭和初期、実際に宮中儀式で着用されたもので、この色の襲ね(かさね)は若い女性用だそうです。
衣は有職文様の織物ですが、裳の模様は「摺り絵」という技法で桐・竹・尾長鳥の模様を白生地に摺り込んで絵付けしてあると説明がありました。
 十二単は小袖の上に長袴をつけますが、他に切り袴という足首までの短い袴に袿(うちき)を羽織る袿袴(けいこ)も多く展示されていました。



袴を引かない分動きやすく、儀式の際は皇族ではない女性が正装として着用したそうです。



 屋外を歩く場合などは袿(うちき)を帯でおはしょりして着用したようです。
靴も西洋風で動きやすそうです。もっとも幕末以前は日本風の沓か草履の類を刷いて歩いたと思われます。

 文化学園服飾博物館はあまりご存じない方も多いのですが、文化服装学院以来の服飾コレクションがあり、折々には今回のような企画展も催しています。
 新宿駅南口から徒歩10分程度。この展覧会は12月21日まで。男性用の衣冠束帯、直衣などもご覧になれます。    https://museum.bunka.ac.jp/


展覧会ルポ | 10:41 AM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅(無線友禅)の参考に。安野光雅さんの「御所の花」展

 高島屋東京店で開催された「御所の花」展を観てきました。
絵本など様々な分野で有名な安野光雅さんが皇居に咲く武蔵野の花々を描いた展覧会です。さぞかし綺麗な水彩画だろうという期待そのままに色の濃淡、陰影の美しい優しい色合いの作品を拝見できました。


 8/27付 朝日新聞より

 桔梗の作品が大きく取り上げられています。このまま無線友禅(糸目糊の防染をせず水彩画のように描く東京手描き友禅の技法の一つ)になりそうでした。
 記事によれば、今回描いた作品中で安野光雅さんご自身、一番のお気に入りは「ホタルブクロ」だそうです。私にとってもホタルブクロは育った武蔵野台地の林、藪、野原の記憶に結びついています。


        図録より。「ホタルブクロ」  隣のページは「アジサイ」

 私は「隣のトトロ」の主人公の妹役メイちゃんに、さらに小さい妹がいたら私の年恰好だと思っておりまして、「隣のトトロ」よりは宅地開発が進みだした武蔵野の野原(のっぱら)で、幼稚園から小学生にかけて、遊び呆けて育ちました。その頃ホタルブクロとカラスウリの二つは 「なかなか見つけられない宝」でした。
 ひょんな拍子にふと足元の一群れのホタルブクロに気付いたりすると子供同士でそうっと触り、「他の人には教えないことにしようね」なんて!子供って面白いですね。あの秘密感覚は何だったのでしょう。手折って持ち帰るという発想はまったくありませんでした。懐かしい…
 ホタルブクロの隣のページは、これも私の好きな紫陽花です。
このブログでも取り上げております。https://www.bokashiya.com/blog/e23.html
ちなみに紫陽花を好きになったのは大人になってからでした。

 せっかくなので「カラスウリ」のページもご覧ください。


 「カラスウリ」  隣のパージは「桔梗」

 カラスウリもなかなか見られない秋の実でした。たまに見つけても必ずといってよいほど手の届かない場所にありました。子供の目には本当に遠い宝でした。

 もう一つ懐かしい花の絵がありました。 



     「カタクリ」  隣のページは「カリン」

 カタクリの花は私の子供時代の記憶にはないのですが、手描き友禅の仕事を始めてから「カタクリ」を描いた訪問着をご注文いただいたことがあるのです。その時に色々調べてその可愛らしさを知るにつけ、こういう足元に咲く一見地味な花を愛でるお客様のお人柄も見習いたいものだと思ったのでした。
 当時は記録を残すことの必要性をまったく理解していなかったので、何の写真も残っていないのですが、その時の訪問着とお客様を折々懐かしく思い出しております。
 カタクリの花は子供が簡単には踏み込めない林の奥にあったのでしょうね。


展覧会ルポ | 12:57 PM | comments (x) | trackback (x)
 手描き友禅を誂え染めで制作する場合は、着物の図案から自分でおこすので、勉強のために美術、特に日本画はよく観るようにしています。もっとも若い頃はヨーロッパの絵画が好きでしたが、面白いもので年齢と共に日本画が好きになり、今は勉強のためと意識せずに単に好きで観に行きます。
 余談ながら以前は、特にフェルメールが好きでした。今のように日本で人気が出る前ですから、かなり古くからのファンだと自惚れています。 昨年の「真珠の耳飾りの少女」はもちろん見てきました。近くで見ると青い少女の青いターバンが実は色々な微妙な色彩で表現されていたのが印象的でした。

 さて寄り道しましたが、今回の「もののあはれ」と日本の美展について。



 思いのほか源氏物語絵がたくさん出品されていました。特に住吉具慶の四季を題材にした一巻のうち、秋で取り上げた「野分」が興味深いものでした。野分で倒された庭の草花の側に女童たちが描かれているのですが、その縮尺がまったく自由奔放です。



桔梗、萩や薄が女童よりずっと大きいのです。それが全体で見た時に、風で倒れた秋の草花、「まあ、こんなになってしまって」と憐れむ女の子たち、その様子を屋敷内から見守る大人たち、という順序で素直に目に入ってくるのです。
 それに倒れた秋草は、そっくりそのまま着物の図案になりそうでした。すっきり必要な枝だけ残して他は切り捨てた生け花のようだと言うべきかもしれません。巻物ですから絵も小さいのですが、目を凝らして観ました。
MOA美術館の所蔵 https://www.moaart.or.jp/



上の写真は江戸時代の琳派、鈴木其一の芒野図屏風です。屏風全体に、このように単純化された芒が濃淡と僅かな色彩の違いだけで表現されていました。
 実は鈴木其一は私が最も好きな日本画家の一人です。鈴木其一の作品はこれまでに複数見ましたが、花鳥を色彩豊かに描いている作品が多かったので、この屏風は少し驚きました。一面の芒野原ですね。ススキの「芒」という字の形が似合っていると思いませんか。
所蔵は千葉市美術館 https://www.ccma-net.jp/index.html



 最後に絵画ではないのですが、すっかり感激してしまったのが、この写真の茶碗です。
 江戸時代、野々村仁清の色絵武蔵野文茶碗です。
実は私は茶碗の良さがあまり分からないのです。国宝の、と言われれば「ああ、そうなのか」と思う程度で、拝見しても素晴らしいと思うことは今までなかったのですが、この仁清の茶碗は違いました。僭越ながら一目ですっかり気に入ってしまいました。
 淵も胴部分も何となく波打った感じ。茶碗の内側から外へ向けて、ほんの一刷毛か二刷毛で掛けた釉。釉の掛からなかった素地の部分にだけ一面の芒が描かれているので、釉の掛かった部分はまるで野原にかかった霧か霞か、といったところ。素敵でした。
 この茶碗を手にして野々村仁清がササッと釉を刷いた瞬間があったと思うとドキドキしました。
大阪の湯木美術館の所蔵だそうです。ぜひ訪ねてまたお目にかかりたい茶碗でした。
湯木美術館https://www.yuki-museum.or.jp/

 いずれも素晴らしい作品を選び展覧会の趣旨がよく伝わる内容で、こうした企画展を開くサントリー美術館に敬意を感じました。

 最後に前述の余談にでたフェルメールですが、彼の作品の中で私が一番好きな作品の画像が検索出来ましたので、ご紹介します。



ドレスデン美術館所蔵 「窓辺で手紙を読む女」

 フェルメール初期の作品だそうです。彼の個性である「画面片側から差し込む柔らかい光」が際立っています。深緑色に沈み込んだ静けさの中に、女性の横顔がただただ美しいです。
 観たのは高校生の時!古い記憶です。いつか再会したいと思っています。ドレスデン、なかなか遠いですが。

展覧会ルポ | 07:34 PM | comments (x) | trackback (x)
 機会があって大阪歴史博物館を見学しました。奈良時代の難波宮についての説明と展示に大変驚きました。
奈良時代には幾度となく都の場所が変わったこと、その一つに難波宮があったという事は何となく知っているような、知らないような、だったのですが、これほど大規模な本格的な都市が、今の大阪の中心にあたる所に整備されていたとは思いもよらないことでした。
 館内には当時の大極殿の様子を再現した展示があり、列柱の並ぶ空間や役人、着物衣装を着た女官といった人々が再現されていました。その場に立つとなかなかのリアリティーでした。


大阪歴史博物館HPより 

女官たちの着物は、高松塚古墳の壁画に似た趣きで奈良時代らしい、つまり大陸の影響を強く残したものです。このような着物を実物大の再現で観るのは初めてで、前後左右から興味深く眺めました。
 不思議だったのは、女官のスカートです。
 女官の身丈より数十センチ長く、体の前後左右に広がって引きずる感じなのです。どうやって歩いたのだろう、と素朴な疑問がわきました。
後世の着物は、十二単のような複雑なものでさえ、衣は後ろに引きずりますよね。袴や袿や裳は体の前から後ろへ流れている立ち姿ですが、難波宮の女官の立ち姿は体を中心に放射線状にスカート状の衣が広がっていました。これでは歩いた場合、スカート部分はどうなってしまうのでしょう。体の正面ではなく横に切れ目があるようにも見えましたが、巻きスカート風だったとすると手で裾を持ち上げて歩いたのか、内側から足でスカートを蹴って前の空間を確保しつつ歩いたのか。とすると、歩くとスカートが相当まくれ上がってしまいそうです。

大阪歴史博物館HPより

 時代が少し違いますが、高松塚古墳壁画の女性たちの着物衣装は引きずる程の長さではないようです。着物の裾の長さなどは身分や場面によっても違ったのかもしれませんね。

 説明では難波宮はその後、権力闘争の末に都ではなくなり、都市としても廃れてしまい、経済都市として復活するのは、だいぶ後の時代のようでした。こんな立派に整備した都を破棄してしまうとは、奈良時代の人々はなんとモッタイナイことをしたのでしょうか。内に籠った地形の京都ではなく、海に広がった大阪が歴史の中心だったら日本文化も少し違った形だったかもしれません。大阪が都だったのは、この難波宮と、ほんの一瞬だけ清盛の福原の都、あとは秀吉の大阪城だけ。残念な気がします。
 大阪歴史博物館は大阪の中心から近く、大阪城のすぐ側で、お城を見下ろす眺望も楽しめる建物でした。大人にも子供にも楽しい展示でした。

展覧会ルポ | 10:47 PM | comments (x) | trackback (x)
 上野の国立博物館へ、円空仏の特別展示を見にいってきました。



 円空は江戸時代初期のお坊さんで、木を削って作った多くの仏像を残しました。
おもに飛騨で活躍しましたが、放浪もしており、遠くは北海道でも作品が発見されるそうです。
 感銘を受けたのは、その木の使い方です。
マキ割りの要領で木を切り出し、ごくごく荒削りな仏様ばかりですが、ごく最初の段階で木目などを考慮して、どのようなお顔、衣、ポーズか決めてしまうようでした。



割った木材の縦に流れる断面をそのまま法衣の袖などの流れに見立てて仏様を表現しているのです。人工の作業は最低限で木材本来の力強さがあります。
ですから木彫りというより木を削り出して作ったといえそうです。
さっくりした上から下へ流れる衣の表現が素晴らしいものでした。
立木へ直接掘り出した仏様もあり、大変な迫力でした。
村の入り口にあったらしい大きな立像は、北米大陸のトーテムポールのイメージ。

在野の仏師だったからか、国宝、重文に指定されている仏像はないようでした。
確かに運慶・快慶といった仏師とは大きく作風が異なりますが、多くの庶民に寄り添って仏様を生み出していたお坊さんであり、国の宝に違いありません。

会期は4月7日まで。桜見物を兼ねてお出かけになってはいかがでしょうか。
本館の展示です。

早めの桜が咲いていました。しだれ桜と手前が河津桜です。
展覧会ルポ | 04:16 AM | comments (x) | trackback (x)
 若い女性や子供の着る振袖のことで少々驚いたことがありました。
 先日、三井記念美術館で開催された「三井家のおひなさま」展を見ました。展示のお雛様が素敵であったのはさることながら、興味を引かれたのはお雛様の持ち主である女性たちの写真でした。
 特に一枚、10代後半から4,5歳の幼児までずらりと並んだ振袖姿の写真がありました。 当時の振袖は五つ紋付き。刺繍や友禅染めの模様が入るのは袖の下半分と裾まわりだけ。上半身に柄はありません。ですから上半身だけの写真ですと振袖か留袖か色無地かは見分けがつきません。その写真は全身像だったので柄行きがよく見えました。
 驚いた点というのは、一番幼い女の子まで紋付きの振袖だったことです。当時の紋は今より大きく、小さな体ですと着丈、袖丈もとても短いですから、袖などは模様の入るスキはあるのだろうかと思います。どんな柄おきにすることやら、と考えてしまいましたが、現代ではこのような紋付き振袖の誂えはまずあり得ないのでした。子供の着物はほとんど全身に模様があってもよい位ですから。 上半身に模様をおかずに紋をおくということは可愛らしさより格式が重んじられたのですね。
 当主夫妻の結婚写真も複数展示されていました。女性が袿姿(袿袴)の写真もいくつか。髪をおすべらかしに結い、それこそお雛様のようでした。
 展示品の雛道具の中に、唐庇車(御所車)がありました。かなり本物に忠実に作られていて、本物を見る機会のない現代人としては、図案作成の有難い参考になりました。図録、もちろん買いました。
 色々な日本画や屏風絵などを見ると勉強になりますので、展覧会にはなるべく足を運ぶようにしています。それに美術館はいるだけで気分転換になる所が多いですね。
展覧会ルポ | 11:26 PM | comments (x) | trackback (x)

ページのトップへ