2023,12,15, Friday
笛を包む手描き友禅の布
前回の徳川家康の絞り染めの羽織の紹介に続き、今回も家康に関連して、友禅染の布の紹介です。
NHKの番組「英雄たちの選択」で
家康が息子に形見として遺した著名な笛が取り上げられていました
。「乃可勢」(のかぜ)と呼ばれる笛で、信長、秀吉から家康の所有となった名笛だそうです。
(画像は放送からお借りしています)
家康には多くも息子がいましたが、二代将軍を継いだ秀忠からみて、歳の近い弟であった六男、忠輝は、将軍職の長子相続制を確立させるために犠牲となり20代のうちに蟄居の身となり、
諏訪市の貞松院で人生を過ごした人です。
笛は家康の死後に形見として生母を通じて忠輝に遺され、今も貞松院で保管されているそうです。
画像は番組で紹介されたその笛ですが、
ご覧いただきたいのは笛よりも!それを包む布!
本格的な
手描き友禅で花丸の模様が染められています。
古く黄ばみ、かなり退色もしているようですが、美しい完璧なる手描き友禅染めです。まるでお手本。

米粉、糠粉で作った
真糊を筒描きして防染し、その
跡が白い糸目のように見えています。(
糸目友禅とも呼ばれます)
化学染料の色だと思いますので、江戸時代後期以降から昭和期の友禅だと思います。縮緬の生地に花丸模様、花にぼかしで彩色。

糸目の外側に少々
染料が浸み出ている所が
手描きの味わいでとても良いです!(^^)!
本来はこのようにはみ出しや浸み出しがある事が手描きの特長なのですが、今は完全を求められることが多く、少々窮屈です。
機械プリントではないので
「じわっと滲み出た感じ」が良さなのですが。
それをそのままにしているこの友禅染めは、現代のものではなく、手作業の誤差にまだ寛容だった時代の物ですね。新しくとも昭和前期かな、と想像します。

ずっしりと重そうな縮緬の生地。
縮緬生地は表面に
シボと呼ばれる凹凸があります。凹凸の大きいと「シボが粗い」とか「鬼シボ」などと呼びます。この生地はかなり
鬼シボ。

笛の陰になっている部分をご覧ください。粗いシボがよく分かります。
こういう生地は実は、
糸目糊置きがやりにくい!筒から線描きした糊が粗いシボのためにめくれて途切れやすいのです。し~っかり生地に食い込むように生地に糊を落とし込む必要がありまして…。ですからこの生地をアップで拝見すると「
上手な糸目糊だな~」と尊敬せずにはいられません。
最近は華やかな地紋を織り出した生地が主流で、鬼シボ縮緬で着物を染めることは、まず無くなりました。助かりますが、「それでは訓練にならないよ」とこの生地に言われそう!!!

いつ、だれが、この布で笛を包んだのでしょうね。
諏訪市貞松院で検索しますと、ホームページの寺宝の項目でこの生地、笛をご覧になれます。残念ながら包み布については特に説明がありませんでした。
名笛や刀など宝物の保存には高価な織物が使われることが多いはずですが、
この笛は友禅染の縮緬で柔らかく包まれていたのですね。
政治面でも家康に貢献した側室だった生母、阿茶の局の庇護もあったことでしょう。忠輝公は蟄居先の貞松院で安定して暮らし92歳まで長生きしたそうです。江戸時代としては大変な高齢。世俗と距離をおいたのがよかったのかもしれないですね。
笛の名手だったそうです。
東京手描き友禅 模様のお話 | 01:46 PM
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2023,11,30, Thursday
今放送中のNHK大河ドラマ
「どうする家康」が佳境を迎えています。
頼りない若様だった家康が様々な辛酸を経て家臣に恵まれ天下を制していくストーリー。
年齢と共にずいぶん家康らしくなってきたな~と思いながら楽しんで観ております。
大河ドラマの衣装については素晴らしい、
時代にも合っていると感心する場合と、時代的にあり得ない色や形で疑問符がつく場合とがありますが、今年の家康は前者。
特に後半になってからの家康の衣装が凝っています。

後ろ姿が家康。
絞り染めの羽織です。

白地に模様を出すために糸で模様と地の間を縫い絞り、模様部分(内側)だけを彩色したり、墨の細い線で形をとった技法です。私は詳しくないのですが、安土桃山期から江戸初期の染めで「辻が花」と呼ばれる絞り染めの一つです。

徳川家の家紋である三つ葉葵紋が染め抜かれています。デザインもお洒落で、作成にあたり具体的な参考例があったのでしょうか。
上野の東京国立博物館の常設展示で見たことのある家康の羽織をご紹介します。

展示の解説によれば、千葉県行徳の鷹師、荒井源左衛門が家康から拝領したものと伝わる羽織。背紋は丸枠の中に三つの「三つ葉葵紋」で凝っています。

あまり退色せず綺麗な状態です。鷹狩が好きだった家康。よい仕事をした鷹匠に衣服を与え、鷹匠の子孫が大切に保存してきた様子ですね。

雰囲気がよく似ているので、テレビに登場する羽織は現存する羽織を参考にして制作されたのかもしれませんね。
テレビ画像に戻って、

写真では分かり難いのですが、家臣たちの衣装は家康の羽織より単純な柄ながら絞りが多く「本当にこんな感じの姿だったのかもしれないな」と思わせられました。
着物あれこれ | 11:08 PM
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2023,11,09, Thursday
前回お勧めした
TV番組「ロイヤルミステリー皇后のドレスの謎」で取り上げられた明治時代の大礼服ドレスを、放送内容もとても興味深かったのでテレビ画像をお借りして紹介いたします。
長い裾を引くデザインで当時流行のバッスルスタイルという高い後ろ腰が特長です。

模様はすべてバラ。
織り方の種類を変えてバラの濃淡と立体感を表現し、さらに精巧な刺繍を加えるという高度な技術の織物だ説明がありました。
このドレスは
明治時代の最高礼装で、明治天皇の妻、
美子皇后が着用したもの。京都の大聖寺に保管されていましたが、経年劣化がひどく修複することとなり、
初めてドレスを解いたところ、ヨーロッパ製と思われていたドレス生地が
実は国産だと分かり、その検証過程を紹介する番組でした。
修復前。きれいに見えても生地が擦れ、刺繍も解けたり崩れたりしています。
なぜ国産と分かったかというと、ほどいた生地の裏に
刺繍を支えるための当て紙として和紙が使われていたから。
ドレスを解くと生地の裏側に、厚い刺繍で生地が歪まないように裏打ちとして使われていたそうなのです。
拡大しますと、
和紙は再利用紙で、「遣拂帳」(つかい払い帳」と書かれている紙も。今でいう経理台帳だそうです。
他に天竜、造船所などの言葉も。軍艦天竜は大阪の造船所で明治16年(1883)に完成していることから、このドレスの制作年代は天竜完成からバッスルスタイルの流行が終わる明治23年(1890)の間と判明したそうです。
日本では古来、紙の再利用は広く行われていたと言われていますね。古い襖を貼り替えようと剥がしたら、裏打ちに商家の大福帳が出てきたなどなど。
和紙は裏打ち以外にも使われていました。

傷んだ
金モールとラメの刺繍
厚みを出すために刺繍糸と生地の間に挿んで使われた素材は
泥紙(どろがみ)と呼ばれる反故紙(ほごし) 古い紙を漉き返し、砕いた泥や木の皮を漉き込んだ分厚い紙でした。
泥紙は防湿防水に優れ丈夫で、刺繍の形に合わせてカットできるので、江戸時代から厚みのある刺繍で使われてきたと
刺繍の専門家の説明がありました。何といっても
針の通りが良いので刺繍に使いやすいとのこと。先人の知恵ですね!
厚みのある刺繍といえばお相撲さんの化粧まわしが思い浮かびます。他にも歌舞伎の衣装やお祭りの幔幕にもありそうですね。
動かしがたい証拠が出てこの生地は日本製だということは分かった、では誰がこれほどの織物を作り上げたのか。
放送では
明治11年からフランス、リヨンに留学、明治15年にリヨン織物学校を卒業した
近藤徳太郎氏が技術指導者として関わったとしています。
彼は京都出身。首都が東京になり織物産業は危機に面した
京都、西陣から大勢の若者がリヨンに留学したそうです。
明治維新からわずか10年後に日本が技術留学生を送り出していたとは知りませんでした。23歳でのリヨン行き。若いですが、当時職人の世界は遅くても15歳位で働きしますから彼もきっと日本の技術は一通り身に付けてからの留学だったと思われます。
日本の近代化を進める資金の多くを稼ぎ出したのは、絹糸の輸出だと教科書にも載っている事ですが、糸ばかりでなく自国で高級な絹
製品を作ることを、ごく初期の頃から目指していたとは知りませんでした。

色だけでなく織り方の変化で遠近をつけた技術
近藤氏は留学から戻ると渋沢栄一が設立した
京都織物株式会社で技術者として働き、この会社は美子皇后の住んだ明治宮殿の内装織物を請け負っていた関係から、皇后の衣服のための生地を織って納めたことは十分あり得るというのが番組の筋立てでした。
明治20年ごろ(1880年代の終わり頃)すでにリヨンに引けを取らない織物技術が日本にはあったということです。
このドレス生地の写真を見せられたリヨンの技術者が、織りの技術の高さに「これはリヨン製に間違いない」と言い切る場面もありました。
近藤氏はその後長く技術者として足利で活躍していて、明治28年に織物技術の学校として創立された現在の
栃木県立足利工業高校に保管されている彼の履歴書が紹介されていました。
桐生など群馬、栃木の一帯は養蚕、繊維工業で栄えておりましたから、足利もその一部だったのですね。
番組では
美子皇后が洋装の普及や繊維産業の発展に寄与したことも取り上げられていました。前述の京都織物株式会社には多額の寄付を行った記録もあるそうです。
そういえば、前の皇后、美智子様がお召しになる服はすべて国産だという報道を聞いたことがあります。
火縄銃もそうでしたが、かつての日本人は何でも自分たちで作れるようになろうという精神に溢れていたのですね!(今は?…)
番組で1880年代と思われる貴重な写真も紹介されていました。
染織の工場。教科書風に言えば「マニュファクチャーの現場写真」です。
刺繍
織物
染色
この染色の写真は驚きです!
刺繍と織物には女性も写っているのに、この
引き染め工場は男性ばかり!それに
着流し姿で刷毛を使っています。さすがに着物の袖は襷掛けしているようですが、裾長の着流しで働くというのは現代から見ると異様ですね。男性なら裾をからげる(はしょる)か、または野良着のように短い着物と股引で働くものだと思っていました。
知らない事を色々教えてくれた番組でした。感謝。
着物あれこれ | 11:39 PM
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2023,09,29, Friday
着物の技術で制作した明治の大礼服
明日
9月30日(土)18時から
NHK BSプレミアムで
「ロイヤルミステリー 皇后のドレスの謎」が再放送されます。
昨年放送された時に見たのですが、着物好きとしては興味深い内容でした。再放送があるならぜひご紹介したいと思います。もっと早くご案内したかったのですが、今日の明日になって気付きました。
大急ぎで書いております。
放送当時の番組案内です(朝日新聞から)
このドレスは明治天皇の皇后が式典で着用したものだそうです。
同じく朝日のネット番組案内からの写真で 大きくご覧いただけます。
番組の主旨は、この
ドレスは打掛や振袖を作るのと同じ技術で作られていること。
明治時代になって宮中行事のドレスコードで最上位とされたドレス類について、従来はフランスなどからの輸入生地で作られたものとされてきましたが、近年生地も縫製も
日本人によって行われたものが多いと分かってきたのです。
番組中で生地のアップも見られます。確かに江戸以来の刺繍職人が縫い上げたのだな!という感じが分かりますよ。
武士の世が終わり、刀に関わる多くの職人が錺細工(かぎざいく)に乗り出したように、
織り刺繍の職人も形が着物からドレスに変わっても同じ技術が活かせたという事ですね。
初回放送を見ましたが、再放送も再度見てみようと思います。
お知らせ | 11:06 PM
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2023,09,09, Saturday
菊の訪問着、重陽の節句
天気予報によれば…まだまだ暑い日が続くようですが、今日はもう
9月9日。
菊の節句です。3月の桃の節句と違い今の日本ではほぼ忘れられていますが、
重陽の節句という長寿の祈願するお祝いだそうです。
私もテレビでしか見た事がありませんが、綿を菊花の上に載せて菊の水分を吸わせ、それを口にすると長生きできるとのこと。

NHK「京都人の密かな愉しみ」から
そういえばこのお祝い、源氏物語の中に出てきた気がしますね(^_^;)
菊の節句にちなみ
ぼかし屋作品の中から
菊の模様の訪問着を紹介します。
着た時の様子が分かりやすい姉様畳みにしてあります。(姉様人形に似た形に畳むからこう呼んでおります)
大輪菊を図案化して
花弁が舞い踊るイメージにしました。
そして花弁と一緒に
鳳凰が舞う感じで
妖精のような小さな鳳凰を、あちこちに。
鳳凰は永遠の命の象徴なので菊と合わせることにしたのですが、着た時に大仰でなく、「よく見たら鳳凰なのね」というくらいの柄の重さにしました。
写実的な大輪菊や菊紋のような小菊ですと季節感が強くなりますが、秋以外でも着やすいようにちょっと変わった菊柄にしてみた訪問着です。
季節の便り | 11:25 PM
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2023,08,30, Wednesday
着物姿で仕事する女性
前回のブログで法政大学の前総長、田中優子さんの地球温暖化への危機意識についてのご意見を紹介しました。その際、いつも着物を着て仕事をしていらっしゃるとテレビ画像でご紹介しました。
本日はその流れで。
少々古いのですが、新聞切り抜きから。
新聞をスキャンした画像で保存していました。紙面の裏側も写ってしまい綺麗な写真でご覧いただけず残念…(>_<)
総長室で仕事をする時も立ったままで、いつも着物姿とのこと。204年に総長に就任されてから新聞やテレビでお見掛けするたびに、何てカッコイイ女性だろう。着物姿も完璧(*’▽’) と感じ入ってきました。写真だけでは着物の詳細は分かりませんが、常に
その場にふさわしい雰囲気のお洒落着をお召しです。

朝日新聞 2018年3/8 夕刊
「一語一会」という連載で著名人が大切にしている言葉を紹介する記事です。せっかくの機会なので内容も。
田中優子さんの大切にしている言葉はお父上の
「近くにいることを大切にしなさい」
何の近くかというと「自分の好きなこと、やりたいこと」
高校時代からのめり込んだ江戸時代の文化や文学をさらに研究しようと大学院へ進むことを希望していたものの、人文系で大学院へ進むと一般的な就職は難しくなるのは今も昔も同じなので、進学を迷っていたら、お父上から贈られた言葉だそうです。
着物姿もさることながら、大変すばらしい言葉だと思い切り抜いておいたのでした。
お父上の言葉、以下全文
「どんな生き方をしてもいい。魅せられたことを手放してはいけない。好きなこと、どうしてもやりたいことの近くにいることを大切にしなさい」
着物あれこれ | 10:43 PM
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2023,08,20, Sunday
着物姿で働くカッコイイ女性からの提言
先月以来、八月のお盆を過ぎても
熱夏、熱暑が続きますね。ぼかし屋が子供の頃は30度を超すと「さすがに真夏だね」でしたが、東京は37度が珍しくなくなりました。
冬、霜が降りず雪も降らなくなった事、世界各国の山火事などのニュースと合わますと、温暖化しているのは間違いなく…どうすればいいのか…
先月
7月16日 TBSテレビの番組、サンデーモーニングにて
法政大学の前総長、
田中優子名誉教授がこの点で発言しておられました。
実は田中優子さんはとっても素敵な方で!いつも着物姿。
総長のお仕事もテレビの出演も、季節の着物を着こなしていらっしゃいます。

(テレビ画像から)
夏の薄物の着物とお見受けします。帯の色合いも着物と合いおしゃれ(*^-^*)
話題を戻しますと…
地球温暖化、異常気象へ対処する意識、
温暖化は私たち自身に責任があるという意識、
それが
日本は世界各国に比べ低いという番組データに対して。

田中優子さんのお話の
主旨は→
地球温暖化は
もうギリギリのところまで来てしまった。
特に日本で対策が進まないのは、国として、政治家の認識自体が経済優先、経済活性化優先になっているから。
長年経済優先してきたが、その結果、潤ったのは一部の人、一部の大企業だけという世の中になってしまっている。
ここはひとつ皆で認識を変えて、経済云々よりも
温暖化対策に本腰をいれる政府、政治家を私たちが選挙の時に選ぶという意識を持たなければいけない。温暖化は私たち全員の問題なのだから。
地味ですが、重要なご指摘だと思いました。
経済のためと言われると、それが第一のように
ツイ思うわけですが、「これ以上温暖化が進んだら?」と考えると優先順位は変わってきます。すでに東京のほとんどは
冷房の電源を失ったら人類は住めない土地になっていますので。
大地震がきたら停電…しますよね東京…(>_<)
温暖化対策、日本に豊富にある地熱の発電はじめとする再生可能エネルギーの利用に本腰をいれる
政治家を、私たちが選び育てていかなくては!
適切な人がいなくても、少なくともその方向に賛同する人を選ばなくては、変化の始まりようがないから。
一歩も外に出られない
熱波の午後に書いたブログでした。
季節の便り | 07:30 PM
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2023,07,20, Thursday
そごう・西武デパートの広告
熱い暑い真夏の日々が続きます。皆さまはお変わりありませんか。
ぼかし屋は冷房バテもして頭がスッキリしない気分ですが、まずは元気にしております。
本日は2年前のそごう・
西武百貨店の2021年4月の新聞広告についてのお話です。
あまりにも印象的だったので広告を保管。コロナから気持ちの距離が出てきたところから、今回紹介したいと思いました。

まるで新聞の上にレシートが置いてあるように見えますね。これは印刷。
2020年6月から11月の間に
お客様が買って下さったもののレシートの形をとっています。
広告の趣旨は…
当時はオリンピックが延期になり、ワクチン接種が各国より遅れ、医療現場の負担、マスクとソーシャルディスタンスの不安な息苦しい毎日でしたが、
レシートには「そういう時期でも、お客様がデパートで買ってくださったのは、」として商品名が挙げられています。
スーツケース
口紅
浴衣
ハイヒール
ベビーギフト
そして「たとえ旅行に行けずとも、マスクの下でも、夏祭りは中止でも、等々」
「
デパートが売っていたのは物ではなく、夢でした」という文章が続いています。
素敵ですね(*’▽’)
夢ある商品の中に「
浴衣」が入っているところが特にすばらしい!
花火大会など夏祭りはことごとく中止でしたから浴衣の制作、販売関係の方々はどんなに大変だったことでしょうか。
手描き友禅の職人組合である
東京都工芸染色協同組合でも定例の展示会が非公開や中止になったり、オリンピックに因んで各産地で作成された世界各国200着もの振袖が発表の場を失ったり、残念の事ばかりでした。
今、デパートは入場制限もなくなり、マスクせずに品定めを楽しむことができます。たとえ高くて買えなくてもデパートを歩くのは晴れやかな気分になるものですよね。
近年、呉服売り場の縮小、廃止が続くデパートさん!
お互い大変ですが、デパートも友禅の誂え染めも「夢を売る」側面があると思っております。
コロナの次は物価高、円安(;一_一)
でも皆さま、何とか夢は捨てずにがんばりましょ!(‘◇’)ゞ
着物あれこれ | 06:59 PM
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2023,07,09, Sunday
蘭の訪問着 湯のし
手描き友禅染めの制作工程の一つに
「湯のし」があります。
染色作業でシワシワと縮んだり、歪んだりした
着物生地に、蒸気を当てながら本来の幅と長さにもどし、生地が織上がった時と同じ状態(ただし色が付いている)に戻す作業をするのです。生地の表面、地紋が整うので絹生地本来の光沢も取り戻します。
手描き友禅を誂える時だけでなく、型染、煮染めなど、それに洗い張りの仕上げも湯のしです。

写真は
下落合の吉澤湯のしさん。蘭の訪問着が
蒸気を吹くローラーを通過する時に、手作業で生地を整えていくのです。

蒸気ローラーで整った生地がぐるっと回って畳の上に降りてきます。こういう機械、最初はいつ誰が考案したのでしょうか?

作業の終わった訪問着の生地。スッキリ!
展示したりお客様に見ていただくために着物の形に縫い合せます。
本当の仕立てと違い衿肩開きを切らない仮縫いで「上げ絵羽縫い」(アゲエバ縫い)と呼びます。
比較→ 染め工程の最初に生地に下絵を描くために縫い合わせるのは「仮絵羽縫い」でした。

前の裾模様。背の方まで豪華に蘭を咲かせました。

着用した時に一番気になる上前の左衿から胸、左袖。

衿の中央から背中心を内側(
生地の裏側)から見ています。
背中心の縫い目を境に模様が絵羽になっていること(模様がつながっている)と、模様の色が裏側からもハッキリ見えている事ご注目を。
色の濃さは表側と変わりありません。
これは手作業で染料を塗って染めた
手描友禅の証しです。
絹が蒸気で整うことに関連して。
帯締めの房が乱れていると着物姿が冴えません。手軽に直すには、ヤカンの口から吹く蒸気に当てながら房を串けずると真っすぐに戻ります。やけどしませんように(^^;)
東京手描友禅の道具・作業 | 12:01 AM
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2023,06,06, Tuesday
手描き友禅染めの仕上げ、金彩
訪問着の染めの作業が終わると生地はこんな感じです。
糸目糊を洗い落としてもらいますと糊の色が無くなり、生地の
糊の跡が糸の目のような
白い線に変わることで、模様自体をとても柔らかい印象になります。良く言えばふんわりと、悪く言えばちょっとボンヤリした感じになります。
ここに顔料や金色を加えることで模様にアクセントを与え、着用した時により綺麗に見えるようにする工夫です。東京手描き友禅の場合は、花弁を金線で縁取ったり、花芯部分を鮮やかな色合いの顔料で描いて立体感を出したりすることが多いようです。

金彩作業中の机。
豆絞り模様の手拭が写っています。もう染め上がっている着物生地ですからなるべくカバーしておくのです。机の上には金粉や顔料、刷毛などがあります。

染めの色挿しの時と同様、
絵羽模様の流れが不自然にならないよう縫い目になるところの左右がつながるように注意しながらです。
金彩が入った状態。
生地の両端、耳があたるところが
直線ではなく一部少し出っ張りがあるのでご注目を。これは染めの時の
伸子針(しんしばり)
の跡なのです。染め作業直後はもっと出ていますが、水もと、湯のしをしてほぼ真っすぐに戻っているものの、よく見ると少し残っているのです。
これは伸子針を使った証拠、つまり
手仕事で染めた証明なのです。亡き師匠は「伸子針の跡は手描き友禅染の勲章」と言ったことがあります。

出来上りです。
衣桁に掛けて全体を確認。金彩、顔料などに使った
水分のため生地が歪んでいます。これを湯のしで直してもらいます。
今後、この
湯のし作業の様子もご紹介したいと思います。
ぼかし屋の染め風景 | 11:40 PM
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